ライトノベル新人賞の傾向。

 第10回えんため大賞小説部門の選評。

青柳昌行

ライトノベルの市場はドンドンと拡大し、書き手にとっても読み手にとっても"ライトノベルとは何か?"という理解度はグングンとあがっているわけですが、それが良い意味でも悪い意味でも応募作品に影響しているのが昨今の傾向といえるでしょう。今回も手馴れた作品、いわゆる誰もが"ライトノベルらしい"と思える応募作が多かったことで、全体的なレベルの底上げはされているわけですが、その反面で突き抜けた作品が少なかったのも事実でした。そんな中で受賞作に選ばれた作品は、模倣的な"らしい作品"ではなく、同じ"らしい"でも"自分らしい"という個性を出そうと努力した作品だと思います。今後もジャンルに乗っかった作品ではなく、ジャンルを引っ張るような作品を書き続けてほしいものです。

西恵子

今回は今までにない多数のご応募をいただきました。近年のライトノベルの認知度を現してか、非常に幅の広い作品群が集まったのは喜ばしいことと感じています。しかし、選考を経てその中から浮かび上がってきた作品は、意外と似通ったものが多いことに気づかされました。そして、その大多数は人気作品の“模倣”作品でしかなかったのです。小器用な物真似ではなく、“模倣”を越えてオリジナリティを発揮できている作品が少なかったのが残念です。今回賞に選ばれた作品は、必ずその作品にしかない魅力を持っています。今後は、欠点を補うのではなく、その作品ならではの個性を、そして魅力を磨き伸ばしていくことに邁進していって欲しいと思います。

 「出来は悪くないが、個性に欠ける」という評価は、ここ最近のラノベ新人賞の選評でよく見かける気がする。ライトノベルの世界は全体的にそういう方向へ向かっているらしい。それは一読者としてたまにラノベを読んでいるぼくの感覚とも符合する。

 となると、たとえば『ゼロの使い魔』+『月姫』みたいな作品を書いて送ったってダメだ、ということである。仮に受賞できたとしても、そのあとが続かないだろう。自分だけの作風、自分だけの世界、そういうものが要求されるわけだ。

 が、いざ書く側に立ってオリジナリティというものを考えると、むずかしい。自分だけの世界といわれても、と頭を抱えるしかない。技術は磨くことができる。しかし、個性を磨くことができるだろうか。

 とにかく書いてみるしかない。書いて、書いて、書いて、そのなかから唯一の自分自身を探っていくしかない。受賞できるかどうかなど、本当はどうでもいい。ぼくの真の目標は自己満足に値する作品を書き上げることだ。

 実に遠い遠い目標である。