電撃小説大賞投稿作品冒頭。


 「電撃」に投稿する予定の作品の冒頭、その草稿です。いまの段階では粗も多く、じっさいに投稿するときには、固有名詞を初め別物になるまで加筆修正する可能性が高いわけですが、良ければご一読ください。なお、このままでは読みづらいので、エディタなどにコピペして読んでいただければ、と思います。


第一章「無罪により死刑」

「被告人」
 その声は冷ややかに法廷に響きわたった。
「何か反論があるようなら発言を認めよう」
「反論?」
 被告人と呼ばれた男は、その言葉をきくと弱々しく立ち上がった。
 若い。おそらく、二十をひとつかふたつ下回る年頃だろう。青い瞳に金色の髪、端正な容姿のもち主だったが、その髪は乱れ、服装は薄汚れて、物乞いと見紛う風体だった。それも無理がないことかもしれない。いま、かれが置かれている状況を考えるなら。
「反論ですって?」
 青年はかれの真正面に座したその人物、司法長をきつく睨み据えた。
「もちろん反論はあります。あなた方の仰ることは理屈に合っていません。公正を旨とする〈帝国〉の法廷とも思えない。そもそも、ぼくは何もしていない。生まれてから硬貨一枚盗んだことすらないんだ。それなのに、こんな、こんな――」
 古びた眼鏡に覆われた青い瞳から、ひと筋の涙がこぼれ落ちる。かれは悔しそうにその涙を拭うと、今度は救いを求めるように法廷を眺めわたした。
 〈帝国最高法廷〉。
 四〇〇年近い歴史をもつ〈帝国〉の国法を司る裁判所である。最も重い犯罪、最も難解な審理のみがこの法廷に持ち込まれ、選び抜かれた司法官たちによって解決される。ほんの一月前までは、自分とかかわりがあるなど想像もしていなかった場所だった。
 いま、青年が立たされているのは、それじたいが〈帝国〉の威信を示しているような、広壮な一室である。かれはその中央で前後左右から集まる視線の牢獄に閉じこめられているのだった。
 青年の前方に位置する壇の上には、いかめしい顔立ちの司法長と、いかにも酷薄そうな眼差しの書記、それから、かれには何の仕事をしているのかわからない司法官たちが並んでいる。裁判の間中、そのだれひとりとして、青年に好意的な態度を見せた者はいない。
 左手に視線を送ると、そこには肥った犬によく似た検事が佇んでいた。その爛々と輝く瞳は、必ず有罪にしてやるぞ、と無言のうちに伝えているようだ。
 その視線に耐えかねて右手の弁護士の方を見やると、かれは気まずそうに視線を逸らした。この裁判が行われた二週間を通して、全く頼りにならない男だったが、この最終局面に至り、遂に青年を励ます努力すら放棄したようだった。
 つまり、青年は孤独だった。かれはその苦い事実をかみ締めながら、言葉を続けた。たったひと言。
「ぼくは無実だ!」
「もちろんだ」
 意外にも、司法長はあっさりとうなずいた。
「我々が知らないとでも思っていたのかね?」
 司法長は手もとの紙の束に視線を送った。そこには、青年の罪状が記されているはずだった。しかし、かれは平然といった。
「そう、君は無実だ。何の罪も犯していない。そのことはよく知っている。しかし、我々が問題にしているのはそのことではないのだ。君はわかっていると思っていたよ。何しろ、君は大学では〈予知学〉の秀才だったのだからな、ウィル・クラウンくん」
 青年、ウィルは悔しそうに唇を噛んだ。
 そう、ほんの一ヶ月前、かれは〈帝国〉最高の大学で一、二を争う俊才として知られていたのである。その、いまとなってはあまりに遠い日々。
 なぜ、こんなことになったのだろう。ウィルは虚ろな想いで過去をふりかえった。



 落日の余光が大学の学舎を朱色に染め上げている。
 ウィルは古ぼけたベンチに座り、たそがれの色に染まった〈中央塔〉をぼんやりと見上げながら、紙コップの紅茶をゆっくりと啜った。紅茶の熱が、冷え切ったからだをほんのりとあたためてくれる。思わずほっとするような温もりだった。
「ウィル」
 うしろから呼びかけられて、ウィルは座ったまま振りかえった。
「何だ、リンさんですか」
 そこに立っていたのは、かれと同年輩の青年だった。この〈帝都〉ではめずらしい、東方ふうの黒い瞳と髪のもち主だ。東方人にしては背が高く、ウィルより指二本ぶんほど長身である。右腕に鞄を抱えているところを見ると、ウィルと同様、帰宅の途中らしい。
「何だ、はないだろう」
 リンは一瞬、白けたような表情を浮かべたが、すぐにそれをかき消し、うれしそうに微笑んだ。
「ウィル、君、論文が認められて大学にのこることが決まったんだってね。おめでとう」
 リンは右手を差し出してきた。ウィルは一瞬迷ったあと、その手を握り返した。
 この大学で、かれにこんなふうに親しい態度を見せるのは、リンだけだった。お世辞にも人付き合いが巧いとはいえないウィルは、大学でも孤立しがちだったのだ。それに、かれの性格としても、ひとと親しく交わっているより、論文に集中している方が楽だった。ひとはかれを学者向きの男だといったし、自分でもそう思っていた。おそらく、大学で一生を終えることになるだろう。このとき、ウィルは無邪気にそう信じていた。
「全く、君の才能には畏れ入る」
 リンは好意的な微笑を浮かべたまま続けた。
「まだ十八歳なのに、飛び級をくり返しもう卒業とはね! 知っているか? 十八で卒業は〈予知学〉では十年ぶりのことらしいよ。十年前のそのひとは不世出の天才だったが、いまは気が狂って病院だとか。君はまず狂いそうにないから、前代未聞のことだね」
「よしてください」
 ウィルは片手を振って好意を拒絶した。
「そんな大したことじゃありませんよ。たまたま運が良かっただけです。あの論文にしても、いままで初代皇帝陛下の妹君に目を付けた論文は少なかった。ただそれだけのことで、ぼくに特別の才能があるわけじゃない」
「秀才どのはかく仰る」
 リンはウィルに向けてうやうやしく一礼してみせた。
「君はそういうけれど、おれのような凡才にとってはうらやましい限りだよ。精々、精進して〈予知学〉の権威を高めてくれ。いまでもまだ〈予知学者〉を胡散臭く思っている輩は多いからな。〈貴族〉の飼い犬程度に思っているんだ。それにしても、ウィル、君」
 リンは声を潜めた。
「〈貴族〉に仕える気はないのか?」
 ウィルは眉をしかめた。
 〈貴族〉。この〈帝国〉で生きる以上、彼らと無縁でいるわけにはいかない。何といっても〈帝国〉を支配運営しているのは〈貴族〉なのだ。〈貴族〉と関係が深い〈予知学〉の学徒であるウィルは、〈貴族〉にかんしては普通よりも詳しかった。〈貴族〉はひとの血を啜るとか平民の娘を浚っては惨殺しているといった風説が、少なくとも大半は迷信に過ぎないことも知っている。しかし、それでもなるべく〈貴族〉とはかかわりたくなかった。彼らがその気になれば、一学生の人生など儚いものなのだ。
「せっかくだけれど、その気はありません」
 ウィルが答えると、リンは少し落胆した容子だった。
「そうか、少々勿体ないな。君なら一流の〈夢読み〉になれるだろうに」
 〈貴族〉の〈青い夢〉から意味を読み取る〈夢読み〉は、ある意味で平民の栄達の頂点である。この〈帝国〉では平民の出世の道は限られているが、〈夢読み〉はそのひとつだった。〈予知学〉の学生から〈夢読み〉へ。それは、〈帝国〉屈指のエリートコースだ。
「ざんねんですけれど、ぼくはこの白亜の塔で一生を終えますよ」
「そうか。それも君らしいな。応援させてもらうよ」
 リンはいうと、ウィルに背を向けた。
「さよなら、また明日逢おう」
「ええ、また明日」
 ウィルはぬるくなった紅茶を呑みながら、軽く手を振った。
 この時は、これが一生の別れになろうとは想像もしていなかったのだった。



 〈帝都〉は広い。
 しかし、大学とウィルの棲むアパートメントはそう離れてはいないため、ウィルは徒歩で大学まで通っていた。むろん、帰路も徒歩である。その日は冷え込みがひどく、コートの襟を立てて歩かなければならなかった。マフラーを巻いてくれば良かった、と悔やんだほどだ。それでも、そのままアパートに帰っても食べるものがない。
「やあ、学生さん」
 その娘は、ウィルの姿を認めると、気さくに声をかけて来た。
「今日は何にする? 良いハムが入っているよ」
 行きつけの肉屋の看板娘だった。年はウィルよりふたつみっつ上だろうか。特別に美人ではないが、明るく、気さくな人柄のために人気があった。それと、豊満な肢体と。
 ウィルは思わずその豊かな胸もとに視線を送ってしまい、慌てて目を逸らした。
「じゃ、それを一人前ください」
「はい。ありがとう」
 娘は、器用にハムを切り分けると、紙に包み込んでウィルに手渡した。不器用な手つきで財布を開き、硬貨を渡すと、彼女はにこやかな微笑みでかれを見送った。
 自分がその娘にほのかな思慕を抱いていることに、ウィルはまだ気づいていない。女性に対しては奥手だったし、それ以前に、自分の感情に対して鈍感だった。それでも、もしそのまま大学に通い続けていたら、やがてウィルも自分の想いに気づくことがあったかもしれない。しかし、その未来は、その日、無残に断ち切られる運命にあった。
 ウィルがアパートに辿り着いた頃、既に陽は落ち、辺りは暗くなっていた。分厚いハムを抱えてアパートの階段を駆け上がったウィルは、鍵を開け、室内に入って、唖然とした。一瞬、部屋を間違えたのかと思い、部屋番号を確認する。203号室。かれの部屋に間違いなかった。
「何だ、これは」
 思わずひとり呟く。
 そこはたしかにかれの部屋だったが、しかし、とてもそうとは思えなかった。いつもしっかりと整えているはずの机の上には乱雑に物が散らばっている。箪笥はすべての棚が開けられ、中身が放り出されていた。本棚の本もそのほとんどが床に投げ出されていたし、ベッドの布団も剥ぎ取られた形跡があった。ひと言でいって、その部屋は見る影もなく荒らされていたのだった。
 泥棒か、瞬間、そう思った。しかし、そうではないことはすぐにわかった。背後にひとの気配を感じて、ふりかえろうとしたその瞬間、激痛を感じるほど強く右腕をねじり上げられたからである。口から悲鳴が飛び出す。
「ウィル・クラウンだな」
 冷たく重い声がウィルの背中から響いた。
「抵抗は無駄だ。おとなしく我々に従うがいい」
「だ、だれです。あなたは! お金が目的ですか?」
 腕をもぎ取られるような苦痛に耐えながら、ウィルは尋ねた。自分の日常に突然割り込んできた非日常に、思考が追いつかない。
 男はウィルの言葉をきくと、かすかに腕を捻る力をゆるめた。問いただす声に怪訝そうな気配が混ざる。
「本当にお前がクラウンなのか?」
「そうです。ぼくがクラウンです。お願いです。もう少し力を緩めてください」
 しかし、男はその言葉をきくと、かえって力を強めた。クラウンという名前が、男を刺激したようだった。ウィルはわけがわからなかった。いままでの十八年少々の人生で、ひとの恨みを買うようなことをしでかした憶えはない。
「本当にこいつなんですか?」
 別の男の声がそう問いかける。ウィルの背後の男は舌打ちした。
「そうらしい。どうも信じられんが、ひとは見かけによらないというからな。油断するなよ。こいつはあくまで〈帝国〉の敵だ」
「〈帝国〉の敵?」
 ウィルの混乱に拍車がかかった。
 どうやら、この男たちは金目当ての強盗ではないらしい。しかも、自分を〈帝国〉への反逆者か何かと勘違いしているようだ。いったいどういうことなのか? そうか、とかれは思った。自分をだれかと誤認しているのだ。おそらく、同名のウィル・クラウンと。かれは偶然、何か恐ろしい罪を犯した犯罪者と同じ名前だったのだ、そうに違いない。
「離してください。あなたたちは誤解しています。ぼくはたしかにウィル・クラウンですが、あなたたちの捜している人間じゃない」
「いいや、たしかにお前に間違いない」
 その男は忌々しそうに応じた。
「ウィル・クラウン。〈帝国〉の敵。我々が何者かわからないようだな? 無理もない。いまの時点ではお前は何もしていないようだからな。まあ、いい。我々は我々の任務を果たすだけだ。クラウン、お前を逮捕する」
「逮捕?」
 莫迦な、と心中でウィルは呻いた。慌てて記憶を探ったが、逮捕されなければならないような出来事は何も見あたらなかった。いままで、〈帝都〉の一学究として、地味で堅実な人生を歩んできたのだ。犯罪に巻き込まれる可能性はあっても、犯罪者に堕ちる可能性はないはずだった。
 ウィルは反射的に男のからだをドアに押し付けていた。小さな呻き声と共に、腕をねじる男の力が弱まる。かれは力任せに腕をほどくと、そのまま窓から逃げ出そうとした。しかし、抵抗はそこまでだった。次の瞬間、かれは背後から頭を強く殴られたかと思うと、床に突っ伏していたからである。背中に重い体重がのしかかる。そしてウィルは頭のうしろに金属の冷たい感触を覚えた。それが銃口であることを、理性ではなく本能によって理解した。全身を悪寒が走り抜ける。
「やってくれたな、クラウン」
 男は獰猛な口調でいった。
「貴様は〈帝国〉の敵だ。このまま射殺してもいいんだぞ。そうしてほしいか?」
 返事はできなかった。顔を床に押し付けられていたからだ。口のなかに血の味が広がり、床に倒される瞬間、唇を切ったことに気づいた。
「まあ、いい。ここで殺らなくてもどうせお前の運命は決まっている。ここから先、お前を待っているのは地獄だ。精々、自分の悲運をかみ締めるんだな」
 男は深く息を吸ったかと思うと、轟くような大声で叫んだ。
「ウィル・クラウン、国家反逆罪予定犯、逮捕する!」



 それがおよそ一ヶ月前のこと。
 そこから先の記憶は混乱している。ひとは、信じられないような不運と巡りあったとき、そういうふうになるものなのかもしれない。
 かろうじて憶えているのは、そのまま男たちに手錠をかけられ、車に乗せられて連行されたところまで。そこから先の記憶は前後が入り混じり、さながら悪夢のようだった。ひとついえることは、警察における取調べ、弁護士との会見、そのすべてがどす黒い絶望に彩られていたということだ。ウィルの人生はたった一日で変わってしまった。
 もっとも、かれを捕らえた男が「国家反逆予定罪犯」が叫んだとき、ウィルはすべての事情を察してはいたのだった。ただ、理解はしても信じられなかった。自分が〈予定罪〉、しかも〈国家反逆予定罪〉に問われるなど、何かの愚かしい間違いとしか思えなかった。
 すぐにすべてが間違いだったとわかり、解放される。初めの一週間、かれはそう信じ込んでいた。しかし、時が経つにつれ、何も間違いなどではないのだと、すべては紛うかたなき現実なのだと、そうかれにもわかってきた。
 そして、いま、ウィルはこの法廷に被告人として立ちつくしている。二週間に及ぶ審理を経て、裁判は最終局面に到達していた。
「クラウンくん」
 司法長は説き伏せるように話しかけてきた。あるいは、それはかれなりの親切であったのかもしれない。これから首を切られる羊にその理由を説明しようとする種類の親切ではあったが。
「君は、いま、自分の不運をかみ締めているところだろう。何か不条理な冤罪の犠牲になったように思っているだろう。しかし、そうではないのだ。我々の行為は完全に合法であり、そして、君がこれから行うことは恐ろしい犯罪なのだよ」
「しかし、ありえません! ぼくが国家に反逆しテロリストになるなんて!」
「だれもがそういう」
 司法長は訳知り顔でうなずいた。
「この〈予定罪〉に問われた者は皆がそういうのだ。自分はそんなことはしない、自分は無実だ、とな。しかし、君がテロを行うことは既に予知されているのだよ。〈貴族〉の予知が証拠能力をもつことは君の方がよく知っているだろう。何しろ君は〈予知学〉の学生なのだから」
「それは……」
 ウィルは眉をしかめた。
 〈予知学〉とは〈貴族〉が見る予知夢〈青い夢〉を研究する学問である。この国の〈貴族〉は〈青い血〉と呼ばれる催眠性の麻薬を服用し〈夢〉のなかで未来の光景を垣間見る。そのために〈貴族〉はこの国を支配しているのだった。
「それは、たしかにその通りです。しかし、〈貴族〉の予知は万能ではありません! 過去には外れた例も――」
「静粛に!」
 ウィルがいいかけると、司法長は激しく槌を打ってその言葉を遮った。
「ウィル・クラウン、君は〈貴族〉の予知に疑問を呈するつもりなのか?」
「そんな」
 ウィルは絶句した。
 〈貴族〉の権勢は絶対である。〈貴族〉は法の外に立ち法を管理する存在であり、〈皇帝〉以外の何者も裁くことはできない。そして、〈貴族〉のその権限の根底にあるものこそが〈青い夢〉であった。この〈帝国〉では〈貴族〉の〈夢〉に疑念を投げかけることは、犯罪にひとしい禁忌なのだ。ウィルはいま、その禁忌を犯しかけたのであった。
 ウィルはさらに抗弁しかけて、やめた。無意味であると悟らざるをえなかった。絶望が視界を黒く閉ざす。この一ヶ月間、かれは言葉を尽くして自分の正当性を主張してきた。しかし、だれひとりとして、その言葉を信じた者はいなかった。
 同情の視線を向けた者はいる。だれがどう見ても、ウィルは線の細い学生にすぎず、悪逆なテロリストには見えなかったのだから、当然のことだ。ただ、それでも〈貴族〉の意見に逆らってまでウィルを弁護しようとする者はいなかった。ある意味では、それもまた当然のことであった。〈貴族〉に逆らうことは即ち破滅を意味するのだから。
「ウィル・クラウン、まだ何かいいたいことがあるかね」
 司法長が重ねて問いかけてくる。
 むろん、いいたいことはあった。
 かれは〈予知学〉を学ぶうち、〈貴族〉の〈青い夢〉が多様な解釈を許すあいまいな代物であることを知った。高い能力をもつ者ほどはっきりしたかたちで未来を見ることができるが、それすら絶対ではない。そもそも〈青い夢〉が絶対だというなら、犯罪者を捕らえることによって未来を変えることもできないはずではないか。〈予定罪〉という概念そのものが無意味なはずだ。
 ウィルはそういいたかった。しかし、その言葉を口に出すことはできなかった。かれもまた〈帝国〉の臣民であり、〈貴族〉とそして〈皇帝〉に対する忠誠を叩き込まれていたのである。
 ウィルは口に出せない言葉を抱えたまま、ひとり、うなだれた。からだがひどく重かった。
「司法長」
 その姿を見た検事が慇懃な口調でいった。
「既に審理は尽きたのではありませんか。これ以上の議論は不要かと存じます」
 司法長が弁護士の方を見ると、かれは無気力そうに首を横に振った。ウィルは知らないことだが、かれはいままで何度も〈予定罪〉を前に敗北を経験してきているのだ。かれもまた、法の壁を前に絶望してきた男だった。
「良かろう。これ以上の審理は無意味であると判断する。判決を言いわたす」
 ひと呼吸置いて、司法長は続けた。
「判決。被告人ウィル・クラウンを国家反逆予定罪により極刑に処す!」



 そして、ウィルの物語は始まる。


第二章「牢獄の男」

「離せ」
 ウィルは華奢なからだを揺すった。
「離してくれ。ぼくは無実だ。無実なんだ!」
 いま、かれの細い腕には金属製の手錠がかけられ、ふたりの屈強な男が左右からその腕を掴んでいる。どんなに暴れても無駄だった。しかし、それでも暴れずにはいられなかった。いまなお、かれの耳には「極刑」という司法長の言葉がくり返し響いている。極刑、つまり死罪をいいわたされたのだ。何も罪を犯していないのに死罪。これ以上の不条理は考えられなかった。
「おとなしくしろよ」
 右側の男が耳元で囁いた。
「抵抗しても無駄だってことくらいわかるだろう。気の毒だが、あんたは死刑に決まったのさ。〈貴族〉様の仰ることには逆らえねえ」
「そういうこと」
 左側の男が応じる。
「あんたは運が悪かった。大方の極悪人は〈青い夢〉にも出てこないんだからな。それでもあんたが〈帝国〉の敵であることには変わりない。逃げ出そうとしても無駄だよ」
 ウィルは力を抜きうなだれた。そのからだを引きずるようにして男たちが連れて行く。
 行き先は新しい独房だった。いままで入れられていた房から死刑囚専用の房へ移されるのだ。
 ウィルが囚人たちが入った房の前を通ると、虚ろな目をした男たちがその姿を見やった。その全員が死刑囚なのだ。思わず悲鳴を上げかけると、左右の男たちが苦笑した。
「おいおい、あんただって死刑囚なんだぜ。同じ死刑囚を怖がってどうする。あのなかには、あんたと同じように自分は無実だと信じている奴もいるかもしれないんだ。そう怖がるなよ」
 ウィルは驚いた。
 そう思って見てみると、どの顔も、ただ怖ろしいばかりではなく、痛ましいほど深い絶望に彩られたものに見えてくる。どんな怖ろしい凶悪犯であっても、ある意味でかれと同じ境涯なのだと思うと、ほんの少し親しみが湧いた。一瞬の錯覚に過ぎなかったかもしれないが。
 ある独房の前を通ったときである。そのなかに座る男の顔が目に留まった。牢獄にあって異彩を放つ、精悍な顔立ちだった。炯々と輝くその瞳は漆黒、たてがみさながらに伸びたその髪も黒、髪の長さはかれが牢獄に閉じ込められた期間の長さを偲ばせた。
 男は、ウィルがかれの前を通り過ぎる瞬間、黒ひげに覆われた口もとを笑いのかたちに歪めた。
「よう、兄さん」
 かれは場違いなほど陽気な声で話しかけてきた。
「あんたもこの牢獄に入れられるのかい。ここは死刑囚用の独房だぜ。その若さでずいぶんひどいことをやらかしたようだな」
 ウィルは返事をしなかった。返事をする気力もなかった、という方が正確かもしれない。暴れることにも疲れきり、立っていることすら億劫だった。それでいてその男の顔から目を離すことができなかった。奇妙にひとの視線を惹きつける男だ。顔の下半分を覆うひげと薄汚れた格好のせいで年頃はよくわからないが、三十より下ということはないだろう。
 驚いたことに、ウィルを抱えた男たちは、かれをその男の隣の房に入れた。鍵が下ろされ、外部への道が絶たれるところを、かれは力のない眼差しで見つめた。
「ほう! 隣り合わせの独房になったか! こりゃ、おもしろい。ちょうど以前そこに入れられていた奴が死刑執行されて退屈していたところなんだ」
 壁越しに先ほどの男の声がした。ウィルが戸惑っていると、かれはさらに続けた。
「おいおい、無視することはないだろう。せっかく隣り合わせの独房に入れられたんだ。仲良く行こうぜ」
「無視したわけじゃありません」
 ウィルは囁いた。
「ただ、疲れてしまって。その、お気を悪くされたらすいません」
「何だ、ずいぶん上品な奴だな! 前にいた奴は自分の女房を刺し殺して捕まった酒乱の中年男だったが、坊やは何をして捕まったんだ?」
 どう答えるべきか、一瞬迷う。しかしウィルは結局正直にすべてを話すことにした。自宅で警察に捕まってから先ほど極刑宣告を受けるまでのことを、簡潔にまとめて話した。
「〈予定罪〉か」
 話をきき終えると、男は声を低めた。
「それはまた、つまらない罪状で捕まったもんだな。酒池肉林を楽しんだ挙句に死刑になるなら男の本懐だが、何もしないうちから〈予定罪〉で捕まったら浮かばれないぜ。可哀想に。辛かったろう」
 男の声音は、驚くほど優しかった。ウィルは思わず涙がこみ上げてくるのを感じ、驚いた。いわれて初めて、自分がそんな言葉に飢えていたのだと気づいた。
「はい」
 頬を涙が伝い落ちる。慌てて拭い、続けた。
「でも、ぼくの責任でもあるんです」
「坊やの責任?」
「そうです。ぼくは〈予知学〉を学んでいながら〈予定罪〉がこんなにひどいものだということを理解していなかった。いや、理解していながら、どこかで他人事だと割り切っていた。もし、ぼくが本当に〈予定罪〉の恐ろしさを理解していたら、そして〈予定罪〉への反対運動でも行っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない」
莫迦なことを考える奴だな」
 男は呆れたようにいった。
「〈貴族〉への反対運動なんてやっていたら、それこそ牢獄行きだったぞ。この〈帝国〉には言論の自由なんて上等なものはないんだからな」
「それではあなたは〈予定罪〉を肯定するんですか?」
 覚えず、ウィルの声に憤懣がこもった。むろん、男に対する怒りではない。警官や司法長個人に対する怒りでもなかった。自分をここに閉じ込めたシステム全体に対する、いいつくせない怒り。
「そうじゃない」
 男はなだめるようにいった。
「ただ、正面から〈貴族〉に逆らっても無意味だってことだ。〈貴族〉に逆らうってことはこの国に逆らうのと同じだからな。それとも、坊や、〈結社〉にでも入るつもりか?」
「〈結社〉?」
「知っているだろう。〈赤い血の結社〉。反帝国レジスタンス組織さ」
 むろん、ウィルはその名前を知っていた。〈帝都〉の住人で知らない者はいないだろう。毎週のように新聞にその名が登場するからだ。連日、破壊活動を行い、〈帝都〉の平和を乱すテロリストたち。無辜の庶民の血を流しつづける悪魔たち。
「報道を信じているのか?」
 アレクは淡々と主張した。
「新聞もテレビもすべてでたらめだ。〈貴族〉たちの主張をそのまま流しているに過ぎん。本当の結社は民間人に犠牲を出してはいないし、狙うのは〈貴族〉の屋敷や施設だけだ。だから正義の組織だとはいわんがな。単なるテロリストではないことはたしかだ」
「本当ですか?」
 疲れきってはいたが、好奇心をそそられて、ウィルは尋ねた。
 一ヶ月前のかれなら信じなかっただろう。しかし、いま、〈帝国〉に対する不信が芽吹いた心には、信じられる話であるように思えた。しかし、それにしても。
「どうしてそんなことを? まさか」
 ウィルは恐る恐る尋ねた。
「あなたも〈結社〉の一員だとか?」
 アレクはまたも大笑した。
「いや、違う。しかし〈結社〉の行動に賛同するひとりであることはたしかだ。この〈帝国〉は〈貴族〉どもに任せておくには惜しい。そう思っている。何より」
 その後、ウィルは長いあいだ、その言葉をきいた瞬間のことを忘れられなかった。このときはそうとは気づかなかったが、それはかれの人生を変えるひと言であり、かれにとって人生の道標となる言葉であった。
「未来は自由であるべきだ」
 薄汚れた独房に、その言葉はしんと響きわたった。
「自由? 未来が?」
 奇妙な思想であるように、ウィルには思えた。しかし、かれが頭のなかでその言葉を反復するより前に、男は壁をつよく二度叩いた。
「いずれにしろ、なかなか根性がある奴だ。気にいったぞ、坊や」
「坊やはやめてください。もうすぐ二十歳になるんです」
「そうかい、悪かったな。何と呼べばいい、坊や?」
「だから坊やは」
 やめてください、といいかけて、からかわれていることに気づく。ひとつ咳払いして、あらためて名のる。
「クラウンです。ウィル・クラウン。これからどうぞよろしくお願いします」
 みたび男の笑声が辺りに響きわたった。このような暗黒の死刑囚独房で聴くには、あまりに陽気で、豪快な声だった。周囲の死刑囚たちがざわめく音がする。
「おもしろい奴だな。隣の房に入れられたのがお前みたいな奴で嬉しいよ。おれはアレクだ。よろしくな、ウィル」



 その日から、ウィルとアレクの対話が始まった。
 アレクは驚くほど話好きな男だった。ウィルが少しでも沈黙していると、何かしら話題を見つけて壁越しに話しかけてくる。むろん、このような地の底の牢獄でそれほど新しい話題があるはずもない。アレクは自分のことは話したがらなかったから、会話はウィルの身の上話と、彼らをこの場所に押し込めた〈帝国〉のことに集中した。
「ぼくは〈予知学〉を学ぶ学生でした」
 あるとき、ウィルは告白した。
「こう見えて、それなりに優秀だったんですよ。十八歳で大学を卒業するところだったんですから。いまとなっては無意味ですけれどね」
「〈予知学〉か」
 アレクの声に考えこむ気配が滲んだ。
「おれにいわせれば、あれも罪深い学問だな。〈貴族〉どもの当たるも八卦の占い道楽に学問的な背景を与えてしまっている。〈予知学〉さえなければ、さもなければ〈夢読み〉さえいなければ、〈貴族〉どもの権勢もここまでではなかったかもしれん」
「〈予知学〉が悪いというんですか」
 ウィルの声音は自然と不満そうになった。当然だろう。かれは幼い頃から〈予知学〉を学び、その道で一生を立てていくつもりだったのだ。死刑囚となったいまでも、その学問に対する憧憬は消えていない。
「一面ではな」
 平然とアレクは答えた。
「〈予知学〉とは〈貴族〉の予言を補完するためにある学問だ。しばしば抽象的なヴィジョンに留まる〈夢〉をなるべく明確なかたちに整理する。それが〈夢読み〉の仕事だな。時には〈貴族〉自身にも意味がわからないものをはっきりとした意味があるものにするわけだ。その意味で〈夢読み〉は〈貴族〉の共犯者だといえる。罪がないとはとてもいえんな」
「それの何が悪いんです? 社会に貢献する立派な仕事じゃないですか?」
 ウィルの言葉には反発心がこもっていたかもしれない。アレクは苦笑したようだった。
「熱くなるなよ、ウィル。おれは何も〈夢読み〉や〈予知学者〉が〈貴族〉の手先だといっているわけじゃないんだ。ただ、結果として〈貴族〉の片棒を担ぐことをやっている。それが事実だ。そうだろう?」
「ずいぶん〈貴族〉に批判的なんですね」
 ウィルは疑問をぶつけてみた。
「〈貴族〉の〈夢〉をそこらの辻占いのように仰りますけれど、それは誤解だと思います。ぼくは〈予知学〉を学んだから知っているんです。〈夢〉はたしかに多様な解釈の予知をのこすあいまいなものですけれど、しかし、たしかに未来をあてているんです」
 ほう、とアレクは一嘆した。
「こんなことになっても〈貴族〉を弁護するんだな、ウィル」
「それは……」
 ウィルの声は尻すぼみになった。
 たしかにアレクのいう通りだ。〈貴族〉のために牢獄に入れられることになったいまでも〈貴族〉を庇っている。ウィルはそんな自分に立腹した。
「そもそも確実な予知なんてものはできるはずがないんだ」
 アレクは続けた。
「たしかに未来の出来事が予測できる場合はある。簡単な例が天気予報だな。複数の情報をもとにあしたの天気はみぞれ混じりの雨です、とやるわけだ。しかし、当然だが、これは予知じゃない。もっといいかげんなのが、占いというやつだ。おれは〈貴族〉の〈青い夢〉もそのたぐいのものだと思うね。ウィル、お前さんは違うというだろう。しかし、そもそも〈青い夢〉が絶対なら、決して未来を変えることはできないはずだ。それなのに、現実には未来を変えることができるわけだろう。それで予知といえるのか」
 ウィルは渋々うなずいた。たしかに〈夢〉は絶対ではない。それはこの身を通して知っていることだ。しかし。
「しかし、〈青い夢〉が未来を予知していることはたしかです。あなたは〈青い夢〉を占いのようにいうけれど、両者は根本的に違う。〈貴族〉は実績を挙げつづけてきたからこそ、いまの地位にあるんです」
「そうかな」
 アレクが不敵な笑いを浮かべる、その顔が見えるようだった。
「たとえば、ある男が十年後に死ぬ、と予知されたとしよう。その男をたったいま殺してしまったらどうなる。十年後に死ぬ、という予知は間違えていたことになるだろう」
 ウィルはうなずいた。
「初歩的な問題ですね。もちろん、未来は変わります。予言そのものが未来を変えてしまうことは当然です。しかし、それでも〈夢〉が未来を予知していたことに変わりありません。それは変わる前の未来を予知していたのです。その証拠に、人間の力では変えることのできない事象に対しては、予知は確実にあたります。天災などですね」
 〈帝国〉には〈枢密院〉と呼ばれる組織が存在し、〈皇帝〉に代わって〈貴族〉の〈青い夢〉を総括した情報を発表している。大規模な天災はその〈枢密院〉によって事前に予知が発表されていた。そのため、災害の被害は〈貴族〉がいなかった頃に比べて格段に減っている。そしてそれは明確な〈予知〉が実在するというひとつの証拠となっていた。
「だったら、ウィル、予知さえなかったら、お前は〈帝国〉に反逆することになったというのか?」
「それは」
 ウィルは唇をかみ締めた。アレクはなおも続ける。
「変えることのできるものを予知とはいわん。〈貴族〉の予知はその意味で予知とはいえん。もし、変えることのできない予知があるとしたら、それは――」
「それは?」
「いや、何でもない」
 自分からいいだしておいて、アレクは話を変えた。
「ところで〈枢密院〉の話だが」
 そうして、対話は延々と続いていくのだった。
 アレクの知識は意外なほど広範だった。特に〈帝国〉の執政にかんして、その識見はウィルを大きく上回った。アレクの話をきいていると、ウィルは一時、大学で教授を相手に議論しているかのような錯覚を覚えることがあった。しかし、それでもなお、少しでも現実が変わるわけではない。
 アレクとウィルを含む十数名の死刑執行の日は、それから二週間後、非情にやって来たのだった。