残り時間少ないなぁ

詰まってきたのでプロットの大幅改変を敢行。電撃の締め切りまで残り40日切っているのに、果たして間に合うのか。まだ半分到達しないような進行速度で推敲の時間とか残るのか。尺は大丈夫なのか。楽観するとサボりたくなるので可能な限り悲観していきたい所存。素地が脳天気すぎていけない・・・・・・
発破も兼ねて序章だけ晒し。できたらどんな風に見えるか感想お願いします。というかこの場面、登場人物がどちらも半分寝ぼけているので無茶苦茶テンション低い(汗
 図書室には一つだけ、西日のよく当たる机がある。本棚の陰に隠れてカウンターから死角になった位置に、他の机から離れてぽつりと置かれていた。明るい場所で読書が出来るように、という目的で一昨年に増設されたテラスが、日焼けや雨が本を傷める事を理由として僅か一年で使用禁止になったとき、出入り口周りに空いたスペースを埋める形で設置されたのだ。白いプラスッチック製の表面には黄ばみと傷が多彩な模様をつけていて、机が倉庫から適当に持ってきた余り物である事を、初めて見る生徒にも丹念に物語ってくれる。そして設計ミスのおかげでカーテンが掛からないテラスのガラス戸から日光が直接差してくるため、夕方近くなってからは使いにくい。
 本を読みたいなら、別の場所で読むべきだ。勉強をしたい場合も、同じく。図書室内では騒がない決まりなので、雑談するにも声を潜める必要がある。
 そんな場所へ陽川金田(ひかわ・かねた)が流れ着いた経緯を、偶然と言うだけで片付けてしまっていいのかは判らない。けれど、切っ掛けというほどの切っ掛けがなかったのも事実だ。自然とその机に馴染んでいき、いつしか陽川はほとんど毎日の放課後を同じ場所で過ごすようになっていた。
 晴れの日も、雨の日も。陽が当たらない日なら普通に使えそうなのだが、その机で本を読みたがる生徒は滅多にいなかった。だから当然、利用者自体が少ない。六人掛けの机のうち四席以上が埋まっている光景に陽川が出会った事はなかった。
 その日の利用者は二人で、多い方だと言える。
 向かいの席では女子生徒が漫画の単行本を開いていた。本来なら学校に持ち込んではいけない代物なので、もしも先生が寄ってきたらすぐ教えるように、と陽川は頼まれていた。漫画を読むついでにイヤホンで音楽を聴いている彼女では、教師が近寄ってきていても気配に気づけないかもしれないからだ。女子生徒は芹沢という名前の三年生だった。陽川は二年なので、彼にとっては一つ先輩になる。緩く波打った髪を肩口まで伸ばしていて、厚みのある瞼と唇のせいか、いつでも眠そうにしている人だという印象を陽川は持っていた。単に、眠い時だけここへ来るのかもしれない。希に相席する以外に接点がないので、人となりについてはあまりわかってなかった。
 陽川は途中で読み飽きた陶芸入門書を閉じ、机の上で組んだ両腕に顔を伏せる。赤味の混じり始めた日差しは毛布代わりになって、目を伏せて間もない陽川を微睡みまで引き込んだ。この机についている限り、何をやるにしても身が入らない。基本的にここは、何もやらないためにある場所だった。
 図書室の静まった空気の中に、シャーペンが紙をひっかく音や、本のページが捲られる音が明瞭に鳴っている。いつもなら聞こえてこない荒びた響きは、芹沢のイヤホンから漏れてくる洋楽のギターが鳴らしているものだ。自然と耳に入ってくる物音を、陽川は聴くともなく聴いていた。幾らか離れた位置に、大きく、叫び声とは違った人の声がしている。何を言っているのか、内容は聞き取れないが、同じ内容を繰り返しているという事だけはわかった。続けて笑い声が聞こえてくるというわけでもないので、巫山戯て騒ぎ立てているのとも違う。
 一階にある図書館の窓の外は、使われていないテラスを挟んで、裏門へ続く道路になっている。声を出している誰かは、たぶん道端に立って下校中の生徒に何かを呼びかけているのだろう。靄のかかった頭でそんな予想を立てたところで、陽川は自分の通っている高校が生徒会役員選挙を半月後に控えていたのだと思い出した。
(大変そうだな・・・・・・)
 喉を震わせるでもなく、口だけを言葉の形に動かす。
 この机から離れた場所では、今も色々な物事が流れ続けているらしかった。二学期に入り、体育祭が終わってしばらく経った頃、稲中瀬高校の生徒会役員選挙は行われる。陽川のクラスからも一人、立候補者がいたはずだ。役職は副会長だったか書記だったか・・・・・・少なくとも会長でないのは確かなものの、詳しい部分がうろ覚えになっている。選挙期間初日の全校集会を病欠したおかげで、立候補者については全く知らなかった。
この高校の役員選挙は、中学の頃の物と比べると遥かに本格的だった。全校集会でステージから溢れんばかりの立候補者が一通り紹介された後には、生意気にも『選挙活動』と称した運動が始まる。立候補者の同級生は彼や彼女等を積極的に支援する決まりになっていた。手製のポスターが壁に貼られ、休み時間の廊下にはビラ配りをする生徒が一定間隔で配置される。ちなみに陽川が以前通っていた中学校では、各役職に一人づつ立候補者がいただけで、所信表明演説のすぐあとに拍手で承認を取るというような、選挙と呼べない役員選挙が三度続いただけだった。よく考えれば後者の方が珍しいのかもしれない。
 どちらにしても夢見心地の陽川には、とても遠い場所での出来事に感じられた。盛んに活動する人間の近くには、なんとなく近寄りがたい。同じような感じ方をする人間は校内の所々にいて、たいていは熱心に動く人間の邪魔にならないように、隅で息を潜めていた。きっとこの選挙もどこか遠い場所で盛り上がり、いつの間にか終わっているのだろう。
「陽川、まだ起きてる?」
「なにか・・・・・・」
 あったんですか、と顔を上げる。
 漫画から目を離した芹沢が、陽川の方を見ていた。訊いてはいても、あまり興味が無さそうな目つきと口ぶりだった。
「陶芸なんて興味あったの?」
「陶芸?」
「その本」
「ああ、これは」
 陽川は上半身を起こして、本を手に取った。
「陶芸入門なんて図書室において誰が読むんだろうって思ったら、試しに読んでみたくなったんです。全然読まれてないみたいですよ。背に癖がついてなくて新品みたいですし、カードに誰の名前もありません」
 図解付きで簡単な陶器の製法について書かれている。興味がある人にとっては、それなりに読める物なのかもしれない。
「陽川が本読んでるのなんて初めて見た」
「たまに読んでますよ。最後まで読めたことは無いですけど」
 普段は、滅多に本を読まない。本棚に並んだ背表紙のタイトルを眺めるのは好きだし、内容に興味もあったが、読み切るまで意欲が続いた事はなかった。
 開いた本に眼を落として食い入るように文字を追い続ける生徒というのは、図書室では珍しくない。教室にも二人ほど、そんな同級生がいる。彼らと同じように紙面へ眼を落としてみても、真剣さを真似する事までは出来なかった。読書に向いていない体質らしい。運動も苦手なので、部活にも入っていない。友達はみな部活に参加しているので、自然と放課後は一人になる。
「絵本もあるじゃない。あれならいけるでしょう」
「それなら漫画でいいじゃないですか。本に拘らなくても」
「校則違反よ」
「そうですね」
 敢えて反論はしない。きっと得体の知れない理由で、芹沢自身は許されるのだろう。
「そういえば、三年って役員選挙だと投票するだけですよね」
「ん・・・・・・何で机の精が俗世に興味持ってるの?」
「精じゃありませんよ。生身です」
 長く愛用された道具には魂が宿るという。とはいえ、陽川には関係ない。
「ここにいる姿以外は想像できない」
「廊下で何度か擦れ違った事ありますよ」
「そうだっけ?」
 と、芹沢は頬杖をつく。
「・・・・・・ああ、見覚えあった。でも陽川って挨拶しないよね」
 咎めているように聞こえた。ただ元から低調な話し方をしていたので、判断に困る案配でもあった。ひとまず正直な所を答えておく。
「挨拶がいる仲なのか微妙なんですよ。先輩一人になら声をかけたかもしれませんけど、他の人と一緒にいる時だと抵抗があるんで。部活とかで繋がりなくて、ここでしか話しませんし、先輩のこと友達って言っていいのかはっきりしないですから」
「それはなんとなく、わかるけど・・・・・・まぁいいか」
 芹沢はイヤホンを耳から外して(いままで付けたまま話していた)、漫画と一緒にウォークマンを鞄へしまい込むと、一方的に会話を切り上げたまま腕枕の中に顔を埋めてしまった。寝息が立ち始めたのはそれから一分も経たない頃の事だ
 先を越されたような心地になる。もしかすると、芹沢は自分が先に眠るためにわざわざ声をかけて競争相手の目を覚まさせたのではないか、といった想像が頭に浮かぶ。本当にその通りだと信じたわけではなかった。が、少し癪になる。
(ここで遅れて眠るのは、残飯を漁るのと同じだ!)
 心の中で叫ぶ。
 しかし眠気には勝てず、結局顔を伏せた。
 芹沢に何かを訊こうとしていたはずだなのだが、朧気な頭が既に内容を思い出せない状態になっている。窓の外で繰り返される声を遠くに聞きながら意識を沈めていこうとした――その時の事だ。

「失礼します」
 
 堅く張った言葉は、緩やかに漂っていた空気をそれと知らずに蹴散らしていた。
 奥にある机にも十分以上届いてくる、図書室には場違いな大声だった。本棚に隠れて姿は判らないが、低く荒い男声には聞き覚えがある。
「華原響子に一票お願いします。華原は校内の設備を充実させ、より快適に生徒が学べる学校を目指しています。華原響子をお願いします」
 宣伝が終わると冷えた空気が幾らか元に戻ったが、しかしどこか、ぎこちなさが残っている。落ち着かない心地でいるところへ、本棚の陰から長身の男子生徒が飛び出してきた。飛び出す、というのは大袈裟な言い方で、実際は歩いて寄ってきただけなのだが、陽川には非常識な勢いに見えていた。
 濃いもみあげと厳めしい目つきは、陽川の知っている生徒の物だ。何が不満なのか、いつも口元をきつく引き結んでいる印象がある。痩せ形で背丈が平均と変わらない陽川よりがたいが二回り大きく、威圧感があった。名前は確か・・・・・・源勇(みなもと・ゆう)、だったろうか。陽川とは同学年で、クラスが同じになった事はなかったが、目にする機会は多いので印象に残っていた。何か行事があると、いつも実行委員長なり生徒代表なりの役職名を付けて、整列した他の生徒の前で話しをしているような生徒だ。
 相手が悪いわけでは決してなかったが、つい身構えてしまう。気の細かそうな人を前にすると、理由なしに怒鳴られそうな気がしてしまうのだ。得手不得手というのはどうしようもなかった。
「お願いします」
 そんな陽川の心配をよそに、源は左手にあるプリントの束から二枚をとって、陽川と芹沢に一枚づつ渡す。プリントには女子生徒の顔写真と、その紹介らしい文章がモノクロ印刷されていた。
「図書室じゃ静かにするものでしょう?」
「選挙活動中ですので」
 芹沢が文句を言うと、源は高圧的な語調で言い返した。
 芹沢は三年。源は二年。言わなくてもいいような点を突く芹沢も芹沢だったが、源の対応も必要以上に強硬だった。ここで芹沢が腹を立てれば話は拗れるだろう。
 陽川は間に割ってはいるべきか迷ったが、芹沢は案じたよりもすんなりと矛を収めた。
「そう。まぁいいわよ」
「失礼しました」
 言い終わるよりも早く踵を返した源は、足早に図書室の外へと向かっていった。戸が閉まる音を契機に、図書室の中を抑え気味の話し声が飛び交い始める。
「とりあえずこの娘に入れるのは止めましょう」
「いや先輩、本人が悪い訳じゃないですから」
 芹沢はプリントの端を親指と人差し指で摘んで、印刷されている“華原響子”を睨んでいる。陽川も自分の手元にあるプリントに目を遣った。いかにも頭の良さそうな女子生徒が笑顔を作っている。印刷の具合が悪いせいで、モノクロの写真は僅かに黒ずんでいた。
「さっきの、この娘の推薦人でしょう。源とか言う奴」
「へぇ」
 学年が違うのによく名前を知っているな、と感心する。
「黒垣の甥なんだって」
「黒垣って誰ですか?」
「物理の黒垣よ。進路指導だから物理取って無くても知ってるでしょう?」
「俺は就職組ですから」
「・・・・・・それにしたって教師の名前ぐらい覚えなさいよ」
「みんなそう言うんですよね。どうやって覚えるんでしょう。コツとかあるんでしょうか?」
 芹沢は眉を顰め、しばらく考え込んでから答えた。
「私は自然と出来たタイプだから、他人にはどう教えていいかわからないわ」
「ああ、ありますよねそういうの。勉強とかでも」
「素直に反応されると困るところよねぇ・・・・・・話を戻すとね、さっきの源っていつもあんな風に偉そうな態度で話すのよ。先輩とか先生相手でもそう。親類が同じ学校で教師やってるから調子に乗ってるんだって言われてる。単に本人が片意地張ってるだけで、べつに七光りで威張ってるとかじゃないと思うけどね。たぶん勝手にプレッシャー感じてるのよ。私はよく黒垣と話すけど、あいつ甥だからって特別扱いするような奴じゃないから」
「意外に顔が広いですよね、先輩」
「陽川の狭さが信じられないわよ、変えろとは言わないけど。あと、意外にって言ったのは一生覚えておくから」
「源・・・・・・でしたっけ。そんなに嫌な奴ですか? それでもこの華原さんとは関係ないですよ」  
「源が推したがるんだから、きっと似たような奴よ。でもすごく当選しそうな顔してるのが質悪いわよね」
 2―Cの華原響子。美人で成績優秀と評判らしく、教室でも頻繁に名前を耳にする。だから陽川も彼女の評判は知っていたが、2―Cのどの女子が華原なのかは未だに知らない。プリントのモノクロ写真を見ても、それらしい顔を記憶の中に見つける事が出来なかった。
 写真の横には“確かな力を身につけられる学校”と彼女の掲げるスローガンが太字で印刷され、公約らしい文章がその下に並んでいる。
(・・・・・・図書室?)
 ふと、陽川の関心が一つの単語へ集まる。
 その単語は公約の中の一条に混じっていた。役員選挙がいきなり身近に感じられて、自分でも不思議なくらい戸惑う。そして内容を読んだ陽川の平静は、宙に投げだされた。
「設備を充実させ、より快適に学べる環境を作る・・・・・・」
「どうしたの?」
「これ、見てください!」
 プリントを芹沢に向けて、問題の部分を指で押さえる。
「この公約の、具体例のところ。図書室の改装ってあるじゃないですか」
「うん」
「ここの戸は」陽川はすぐ傍のガラス戸を目配せで示した。「前々から邪魔だって言われてるんですよ。どうせテラスを使えないなら、戸は埋め立てて本棚をもう一つ増やしたいって話があるらしくて。でも機会がないまま放っておかれてたんですけど、もしこの華原さんが生徒会長になったら・・・・・・」
「生徒会の予算も工事に使っていいなら、学校側もいい機会だと思うでしょうね」
「はい。戸の周りのスペースが埋まったらこの机も邪魔になりますから」
「ついでに撤去される、と」
 あちゃぁ、と芹沢は額に人差し指を当てる。芝居がかった仕草。
 その時にはもう、陽川の中で結論が定まっていた。
 失敗したとして、何をなくすわけでもない。決断したといえるほど強く踏み切る必要はなかった。
 ちょうど計ったように、机の元へ三人目の利用者が現れる。
「芹沢先輩まで居たんですか。お久しぶりです」
 骨張った頬と、驚くほど滑らかな肌を備えた一年の男子は、大きな目を普段以上に見開いてにこにこ笑いかけた。名前は御手山(おてやま)。陽川の次にこの机をよく使う生徒で、読書が趣味だという変わり物だ。もちろん読書好きなのが変わっているのではなく、読書好きなのにこの机を使っているのが奇妙なのだ。
「御手山、あんたもここ知ってたんだ?」
「よく来ますよ。陽川先輩とは大親友なんです」
「うぇ・・・・・・陽川、あんた友達選びなよ」
 芹沢の口が悪いのはいつもの事として、あまり不愉快そうではない。接点があるようには見えない二人だったが、意外にも親しいようだ。それでいて、互いが机の愛用者であった事は知らなかったらしい。
 陽川は校内の動きに疎かった。深く知っているのは、この机に関わる事柄だけだ。しかし、それ故に察せるものもある・・・・・・的外れかもしれないが。
「先輩、聞いてください。御手山も」
 そう言うと、二人は会話を止める。
 傾いた日差しがガラス戸から入り込んで、机とその利用者の全身を橙色にぼかしていた。プラスチック製の机の色は、陽川にとって、この橙が一番自然な状態だった。
 この期に及んで微睡みの抜けきらないまま、宣言する。
「華原響子を落選させます」
 これが、計画の始まりだった。
 けれどその日はもう時間がなかったので、陽川は宣言だけして帰宅した。翌日、翌々日は土日だったので、具体的な行動は出来なかった。早くも出鼻をくじかれた形になる。それでも陽川達は行動を開始した。月曜日の放課後。芹沢は現れなかったので、御手山のみを共にしての作戦だった。