救世の品格 序章 改訂版

 というわけで昨日の予告通り改訂版。
 うーん、一人称のアクション部分は結局ほとんど修正出来ず。
 まーそこはおいおい考えていこう。というか、こいつの視点でバトルとか難しいわい。

救世の品格

 力とは誰かの為に使ってはならない。

 これが師匠に与えられた教えの全てであり、その真髄だ。
 それが無我の境地に至る唯一の手がかりである。
 俺はその意味を知らなければならない。
 無我の境地こそが我らの終着点なのだから。

序章

 息を吸う。
 ただそれだけで大気が、世界が、宇宙が体中に染み渡る。
 息を吐く。
 ただそれだけで体が、心が、魂が、世界に染み渡っていく。
 自己と世界の融合。
 生きることとはただそれだけで真髄へと繋がる軌跡なのである。
 だからこうして、山奥の滝壺の前でぼーっと餌のない釣り竿を何時間も垂らし続けることもまた、真髄へと至る確かな修練の一つだと思うのだがどうだろう。いや、間違いないはずだ。そうでなければまるで俺がアホである。
 岩の上であぐらをかいてどれくらいの時間が経っただろうか。
 水面に映るよれよれで小汚い作務衣を着た冴えない自分の姿を見つめていると、なんだか一ヶ月は経った気もする。
 気のせいか。まあ、気のせいだろうけれど。
 さすがにそろそろ何かものを口にしないと死ぬかも知れない。野垂れ死にだけはしたくないな。下手に死ねば死後も我が師の奴隷でありつづけることになってしまう。
 ――いやまあ、食べなくても生きていけるのだけれど。
 食事を欲するとは俺もまだまだ修行が足りないようだ。
 じゃあどうするかというと――森羅万象へ飯にありつけるように祈りつつ再び息を吸い、黙って水面を眺めるだけだ。動くのってめんどくさい。
 流れるまま、赴くまま、あるがまま。
 ただただ自然であることを我が流派は是としている。なので、俺はめんどくさいと思えば幾らでも動かずにいよう。
 べつにぼうっとしていても飽きはしない。
 周囲に耳を傾ければ森の中を吹き抜ける風の音、鳥の声、木々のざわめきが心を潤す。眼を見開けば激しい滝の流れと、緩やかな川の流れがあり、その上を木の葉がゆらゆらと流れゆくのを見るのも実に面白い。風情とはこういうものだ。
 そして、そんな流れの中心に垂らされた釣り糸の揺るぎなさはもはや勲章ものではないだろうか。こうやっていつまでもいつまでものほほんと――。
 瞬間。とてつもない風が森の木々を揺らした。
 新緑の香りと共に緑の葉が宙を舞い、体の隙間をすり抜けていく。
「やれやれ、相変わらず無粋な来客だ」
 振り返るとそこには研ぎ澄まされた刃の気配。近づくもの全てを切り払わんとする断罪の剣。
 だが、そんな気配とは裏腹に、俺の視界に映るのは可憐な一人の少女の姿だ。確か歳は十七だったか。十メートルは離れた獣道に少女が一人木刀を携え、佇んでいる。
 鍛えられた引き締まった肉体とそれに相反する女性らしい柔らかな体つき、鋭い瞳、整った顔立ち――彼女は気配だけでなく、見た目も磨き上げられた美しい日本刀のようだ。
 実に美しく、人間らしい。刀とは、人が作ったものでもっとも美しいものの一つであると思う。故に、自然を是とする俺とは常に対極に位置する。
 彼女は背に荷物を背負い、片手には木刀を一本携えている。まさにこれから旅立とうという気配がありありと見える。
「やあやあ、これは久しぶり。何年ぶりかね」
「一週間ぶりよ、ボケナス」
 返す言葉は刃の様に冷たい。うん、実に彼女らしい。
「ん? そうだっけ? まあ、そんなものか」
 だとすると、もう一週間も何も食べてない計算か。まあ、そんなものだろう。
 ぼりぼりと呑気に顎を掻く。すると、何故か相手の刃の様な怒気がより一掃大きくなった気がする。どうしたというのだろう。生理だろうか。
「そこを通して貰おう」
 険のある――だが、聴くものを引きつける美しい声が森の中に響き渡る。
「ははは。残念だなぁ。今は釣りで忙しい。別の日にしてくれ」
 俺は彼女に笑いかけてやるが、彼女の美しい顔はぴくりとも反応しなかった。なかなか寂しい。
「私は山を下りなければならない」
 その言葉に俺は大きく溜息をついた。
「どうしてだ」
 釣り竿を引き上げ、俺は完全に彼女の方に体を向ける。
「お前はこの山のてっぺんにあるお嬢様学校の生徒じゃないか。好きこのんで下界に降りる必要はない。俺が言うまでもなく、この山の下には危険がいっぱいだ。世界は乱れ、退廃と争いに満ちているってやつさ」
 彼女の透き通った黒瞳が真っ直ぐに俺の目を貫いてきた。
「だからこそ」
 決意は重く、揺るぎない。全ての覚悟がそこにある。
 俺は釣り竿を投げ捨て、大げさに両手を広げた。
「あーあー、分かってないね。全く分かってない。今からでも遅くはない。回れ右をして学園に帰りな。君みたいな子は山奥で神様でも祈っていればそれでいい」
 すると、そこで初めて彼女は口元を綻ばせた。
「あら、貴方は知らないのね」
 突然の変化に俺は軽く驚く。驚くなんてなかなか久しぶりだ。
「何を?」
 思わず発したその問いに彼女は楽しそうに応える。
「神は既に死んでいることを」
 ヒュー、と軽く口笛を鳴らす。
「言うようになったねぇ。口先だけは立派になった……かな」
 そう言って俺は無造作に彼女に歩み寄った。
 踏み出した一歩が十メートルの距離を縮め、文字通り一足飛びに彼女の眼前へとこの体運ぶ。
 突如として鼻先へ現れた俺の姿に彼女は愕然とし、すぐに飛び退いた。
「――相変わらず、気配がないのね」
 荷物を投げ出し、彼女は木刀に手を添える。その姿はまるで居合いを放つ侍のようである。
 対する俺はただ息を吸い、作務衣のポケットに手を突っ込み佇むのみ。
 無造作に立つ俺に対し、彼女は一分の油断を見せず、一挙一動を見逃すまいと睨んでくる。
「そう見つめてくれるなよ。照れるじゃないか」
「嘘つき」
 けらけらと笑いつつ、精神は驚くほど静まっていく。息をするたびに心が穏やかになり、世界との調和が満たされていく。
 対する彼女は近寄る全てを切り裂かんと恐ろしいまでの殺気を周囲へまき散らしていた。荒々しい、若い衝動。
 それに応えるが如く森に再び烈風が吹き荒れ、薄雲が空に漂い始める。なかなか彼女は世界に愛されているらしい。
「ははは……いかにも若輩者と言った感じが実に可愛い」
「あなたも同い年でしょ」
「んー? そうだっけ? あー、そうかもなぁ。ああ、そうかそうか」
 カレンダーなどと無縁の世界を生きていたせいですっかり忘れていた。そう言えば自分は生まれてきてからまだ十数年しか経ってないらしい。
「で、いつまでそうやって構えているつもりだい?」
 彼女は構えつつも、その場から一切動こうとしない。
 いつしか空は暗雲に覆われ、暗闇が森に降りた。闇の中で対峙する俺と、彼女。
 息を吸い、大気と調和する俺には分かる。彼女の周囲には殺気で塗り込まれた必殺の領域が展開されているのだ。踏み入れば、即座に死へ直結する絶対の領域。
「そちらが動かないというのならば――」
 その領域を――。
「――こちらが動くまで」
 無造作に蹂躙する。
 彼女の左手前へ体が動く。気配のない俺に彼女は反応できない。ポケットに手を突っ込んだまま右足で彼女の左足を絡め取るように蹴り上げる。
 今度は驚かないらしい。
 彼女はこちらを睨みつつ、残った足で大地を蹴り、空中へ飛び上がる。姿勢を立て直すために、くるりと反転する体。そこへ、俺は追撃の蹴りを放ち、彼女を地面にたたき落とす。
 あわや頭から地面に激突しそうになるが、彼女は左手を支えにして片手で逆立ちすると、反転して再び居合いの構えを取った。
「ほほう、再会した時とは動きが違うね。三年前くらいか」
「半年前よ」
「あれ、そうだっけ?」
 生真面目に訂正する彼女に俺はけたけたと笑い返す。その言葉に彼女はやはり生真面目に眼を険しくさせた。本当に、この子は虐め甲斐があるな。
「――違うのは動きだけじゃないわ」
 そう言いながらも彼女はその場を動かない。木刀を居合いに構えつつ、じっとこちらを見つめるのみ。
 再度無造作に踏み込み、右手を放つ。こちらの右手はたやすく彼女の頬を叩いた。
 ぱぁん、と景気のいい音が森に響き渡る。
 張り手を受けて彼女の体は右に逸れるものの、その目はずっとこちらを見つめていた。居合いの姿勢は崩さない。なのに――彼女の心眼は俺を捉えられていない。
 遠くで雷鳴が鳴った。後数時間もすれば雨が降るだろう。
「諦めるべきだ。君では俺には及ばない」
 力の差は歴然だ。彼女はこちらの攻撃を避けれない。そして、彼女はこちらを捉えられないので剣を抜き放つことすら出来ない。無闇に振り回していた昔よりは進歩しているが、これではどうにもならない。
「――だとしても」
 彼女はここで大きく息を吸った。彼女の中でなにかが膨れあがるのを感じる。
「私にも譲れないものがあるっ!」
 生まれようとしている。
 とても大きな力が。
 磨き上げられた剣が――ついにその刃を放とうとしている。
 だが何を斬るというのか。
 彼女に――何が斬れるというのか。
「私の剣は――」
 吹き荒れる風の中、ざわめく森の中――彼女は剣を抜きはなった。
 地から吹き上がり天を貫く逆袈裟斬り。
「――世界を救う剣よ」
 全ての風がやんだ。
 森は静寂を通り越し、沈黙によって覆い尽くされた。
 全てが静止した世界。
 その静止を破るべく、俺は万感の思いを込めて告げた。
「見事だ」
 彼女の剣は遂に俺の体を捉えることは出来なかった。こちらの体には何一つ傷はついていない。
 ――だが。
「好きにするがいい」
 太陽の光が森に注ぎ込まれていた。合格である。
「じゃあ、行かせて貰うわ」
 素っ気ない言葉に思わず苦笑する。相変わらずかわいげのない。せっかく褒めてあげたというのに。
「では、暇なのでついて行くとしよう」
 こちらの善意に彼女は露骨に顔をしかめた。
「おいおい、その顔はなんだい? 俺ほど心強い味方なんていないぞう」
「自分の為にしか力を使わない癖に何言ってるのよ」
 ふん、と顔を背け、彼女はつかつかと俺の傍らを通り過ぎていく。
「第一臭いし、キモイし、意味分かんないし。ストーカーするとかやめてよね」
 嘘付け。こっちの匂いすら感じ取れてない癖に。
「ははん、止めれるもんなら止めてみな!」
「くっ……」
 奥義を会得したとはいえ、二人の力の差は歴然だ。彼女がこちらをどうこう出来るはずがない。
「ほらほら君の未熟な力で、君はどこへたどり着けると言うんだい? あー? やっぱ山に居た方がいいんじゃない?」
「力ってのはねっ!」
 おどける俺に対し、たまりかねた彼女が怒声を放つ。
「誰かの為に使うものなのよ! 山奥で磨いてたってなんの意味もないわっ!」
 彼女はこちらに背を向け、ずんずか歩き出す。
「うわぉ。俺の流派全否定」
「当たり前でしょ。あなたのところを全否定するのが私の流派だもの」
 そらそうか。敵対流派なら仕方ない。
「まあまあ師匠達の因縁は忘れて仲良くしようぜ! お嬢ちゃん」
 俺の言葉に先を行く彼女は足を止めた。
 振り向き、とびきりの殺意を込めて告げてくる。
「約束!」
 突然の言葉に反応に困る。約束。なんの?
「私が奥義を体得したのなら――あなたは私の名前を呼ぶはずでしょう? それとも忘れたの?」
 ああなるほど。そう言えば再会した時にそんな約束をしたような気がする。
「そうだったね。では、おめでとう。十一代目鬼一法眼ちゃん」
「違う!」
 せっかく襲名を祝ってあげたのに彼女の顔は今にも不満で爆発しそうだ。クールビューティと思っていたのになかなか感情的だ。
「そうじゃない。そうじゃないの」
 彼女は真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。
 それに対し――俺は何も返さない。何も返してあげない。
 ただただいつも通り、そこにあるだけだ。
 沈黙が再び辺りを覆う。
 彼女は溜息をついた。
「そうね。では、改めて覚えて貰うわ。
 私の名前は泉野いのり。
 ――あなたを殺す女の名前よ」
 凄まじい殺気が向けられる。だから、対する俺もとびきりの笑顔を込めて名乗った。
「俺の名は弥山然。どうあがいても君が勝てない雲の上の存在さ」
「ふん、覚えてなさい」
 言って、彼女は再び歩き出す。
 ――やれやれ、何故名乗ってしまったのか。ここは名乗るべきではなかった。
 まあいい。いずれは通る道だ。
 俺は息を吸い、黙って空を見上げる。
「しかし、見事なもんだなぁ」
 そこには空を覆っていた雲海が真っ二つに切り裂かれ、太陽がその顔を覗かせていた。
 俺と彼女の物語はここから始まる。
 そして、俺も見つけなければならない。無我の真髄を。




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 ほとんど変わってないですなぁ。
 三人称用の別スタートも用意してあるけど、まあとりあえずこのまま行ってみますか。
 しかし、描写不足かなぁ。彼女の剣が天を切り裂く凄い剣だと言うことが伝わってこないか。いや、こんなもんか。むー。