【短編】モモセの十戒!

哲学さんと同じお題「カバラ」と「妹」で書いてみた短編です。
両方読むのは骨が折れるでしょうが気が向いたら読んでやってください。
感想などいただけるととても嬉しいです。

第一話 『王冠(ケテル):汝我面の前に我の外何をも神とすべからず』


「お兄……ちゃん……」
 病室のベッドに、俺の妹――百瀬陽子が横たわっている。
 陽子は、重い病気を患っていた。
 何の因果か、突然降って湧いたかのようなその病は陽子の身体を確実に蝕んでいった。
 差し出された手を握り締める。
 その手はとても小さく、冷たい。
「陽子……ッ」
 この世に神なんて居やしない。居るとするなら、そんな神クソ食らえだ。
 医者にもサジを投げられた。今夜が山だと言われた。
 原因もロクに判らない癖に、何が山だって言うんだ? そのいい加減さにも腹が立つ。
「はぁっ……はぁっ……」
 陽子の息が荒い。凄く苦しそうにしている。
 もう、どれ程こうしていただろう。いっそ楽にしてやってくれ、と言う考えが頭を過ぎってはそれを否定する。
「頑張れ、陽子……」
 何て無責任な言葉だろうか? どう見たって、これ以上なく頑張ってるじゃないか。
 なのに陽子は、そんな俺の言葉を聞いて少し微笑んだ。

 ダメだ、これ以上は。
 俺の方が――耐えられない。

「お兄ちゃん……私は、大丈夫だから……ね?」
 陽子が震える手で、俺の手を握り返す。
 なんで俺の方が励まされてるんだよ、クソッ!
 陽子の手を、力いっぱい握り締めながら、祈る。

 ――神様、どうか陽子を……助けてください

『その願い……聞き届けよう』
 突如、病室が眩い光に包まれる。
 何とか薄目を開けながら光の先を見ると、そこには見慣れぬ人影が「宙に浮いていた」。
 やがて光も少しずつ収まっていき、その人影――若い男に見えるソイツが、妹の枕元へと降り立った。
「我の名はヤハウェ。今こそ旧きの盟約により我が友の命を助けよう」
 ヤハウェと名乗ったソイツは、陽子の額に手をかざす。
「大いなる王冠(ケテル)よ、知恵(コクマー)と理解(ビナー)を以て慈悲(ケセド)と峻厳(ゲブラー)へ至り給え。その美(ティファレト)は勝利(ネツァク)と栄光(ホド)をもたらす。その基礎(イェソド)を以て、ここに王国(マルクト)を築かん。生命(セフィロト)の樹よ、我が秘法(ダアト)を受け入れ、奇蹟をここに顕現せよ!」
 陽子の身体へ覆いかぶさるように、幾何学的な紋様が浮かび上がる。
 その紋様は呪文に合わせて光を放ち、やがて陽子の身体へと沈みこみ、光と共に消えてゆく。
「何……を?」
 何をしたんだ? ていうかアンタ誰だ? 何処から入ってきた? どうしてここに居る? 今のは一体なんなんだ? 様々な疑問が瞬時に浮かび、混乱する。
「奇蹟は顕現した。容態も落ち着くであろう」
 シン――と静まり返る部屋。
 その部屋に、すー、すー……と、陽子の静かな寝息が響き渡った。

 ****

 あれから一週間が過ぎた。
 陽子は病気だったのが嘘のように順調な快復を見せ、翌週には退院の許可が出た。
 今はリビングで、俺と陽子と「もう一人」がくつろいでいる。
「……で、だ」
 俺はコホン、と仕切り直す。
「お前は一体何なんだ? いつまでここに居るつもりだ?」
「何度もしつこいのぅ……我はヤハウェじゃと言っておろうに」
 ヤハウェと名乗った男を観察してみる。
 金髪碧眼で整った顔立ちに、何処と無くギリシアの香り(俺のイメージだ)のする白い布を羽織り、呑気に茶を啜っている。
 コイツが一週間前、病室で陽子に「何か」をした。
 その結果、陽子は快復した。
 それ自体は感謝すべき事なんだろう。が、俺は未だ素直に感謝できずに居る。
 だってそうだろう? 突然何処からともなく湧いて出てきたどう見ても日本人じゃない男が不思議な力で妹の病気を治した? 現実離れしすぎている。それに――
「そのヤハウェさんは、一体何者なのでしょうか?」
「妄りに名を呼ぶでない。我の事はヘブライと言っとろうに」
「あー、そうでしたね……」
 じゃあ最初からヘブライって名乗れよ紛らわしい。そう思いながらも質問を続ける。
ヘブライさんは、何者ですか?」
「我は神じゃ」
 ――これだ。
 これで「おぉ、神様! 妹を救ってくださりありがとうございますぅぅ!」と素直に感謝できる人間が居るとすれば、ソイツは相当に電波だと思う。よりにもよって、神様って(笑)
 しかも中途半端に若くてイケメンなのが余計に腹立つ。
ヤハウェくん、あの時はホントにありがとうね!」
「だからヘブライじゃと……気にするでない、旧き盟約を果たしただけじゃ」
「そうそう。あの時、お前は陽子に何をしたんだ? 何かすっげー光ってたけど……」
「あれか? あれは無(アイン)より無限(アイン・ソフ)を生み出し、無限(アイン・ソフ)より無限光(アイン・ソフ・オウル)を……」
「あー……日本語でお願いします」
「神の奇跡じゃ」
「おー、神様って凄いんだね!」
 あっさり信じ込む我が妹。素直さは美点だが、もう少し疑うことも覚えて欲しい。
「恭くーん、お昼運ぶの手伝ってちょうだい」
「はーい、今行くー」
 昼飯を運ぶのを手伝う為、俺は台所へ向かった。

 ――ここで、我が「百瀬家」を振り返ってみよう。
 まずはこの俺、百瀬恭太郎。十七歳男性。これと言った趣味もなく、部活も帰宅部。成績も中の上と言ったところ、スポーツはそこそこ出来るけど運動神経抜群! って程でもない。まぁ石を投げれば当たるような、ごく一般の男子高校生だ。
 母、百瀬由美子。天然でおっとりしている……と言えば聞こえは良いが、要はドジでおっちょこちょい。そのマイペースぶりは「この母にしてこの娘あり」と思い知らされる。
 その娘、百瀬陽子。俺の妹だ。休みでだらけているが、身だしなみはきちんとしている。肩に届くくらいのサラサラとしたショートヘアを根元で軽く結っている。母に似てマイペースではあるものの、家事も勉強も運動もソツなくこなす。兄の贔屓目で見ても顔立ちは整っており、学校でもそれなりにモテているようだ。(俺はラブレターすら貰ったことが無いのに、だ)
 あとはここに居ない親父を含む四人が「百瀬家」を構成するメンバーである。

 ――さて、話を戻そう。
「つまり、俺が言いたいのは部外者であるお前が何故さも当然のように我が家の団欒に加わり、あまつさえ極自然に昼飯を喰ってるかということだぁーっ!」
「なんじゃキョータロー、我のおかずが欲しいのか? 意地汚いのぅ……」
「違うわっ!」
「恭くん、おかわりは沢山あるからね?」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてですね……」
「お兄ちゃん、わたしのおかずあげる」
「だから違うっつうの!」
 ダメだ、ここに常識人はいないのか……!?
 むしろ、おかしいのは俺の方なんだろうか? 俺、KY……?
「キョータロー、KYじゃぞ」
「おいっ! まがりなりにも自称神(しかもエキゾチック)がKYとか言ってんじゃねぇ! て言うか母さん、いいの? こんなどこの馬の骨とも知れない男を平然と家に置いちゃって……」
「だめよ、恭ちゃん。陽子の命の恩人に対して馬の骨なんて……ヘブライちゃんは神様ですもの」
 うわぁ、ダメだこの人。完全に信じちゃってるよ。
「ねぇ、神様。いつまで我が家に滞在するおつもりなのですか?」
 何とか自制して、素朴な疑問をぶつけてみる。コイツが神様で、陽子の命を救ってくれたのだとしよう。神様ありがとうございます。それはそれで良い。
 何で家に居るの? 下界に留まっちゃって問題無いんスか? 神様ってもっと不確かなものじゃないとダメじゃね?
「それも何度も説明したであろうが……我は我が友を救う為にその力を使い果たしてしもうた。再び信仰の力を充填出来るまではこの世に滞在せねばならぬのだ」
「はぁ……。その充填ってのは、いつ頃終わりそうなんですか?」
「カナンの地ならばともかく、この国ではの……正直見通しがつかぬ」
「それって、ずっと滞在するってこと?」
 冗談じゃない。何故か親父も母さんも完全に受け入れムードだし、このままじゃコイツが一生我が家に滞在することになりかねん。
「要は信仰が集まれば良いのじゃ。つまりは汝らがカバリストとなれば何も問題は無い」
「カバリスト?」
 また良く解らん単語が出てきた。何だ? カバリストって。カバって動物のカバか?
「――カバリスト。カバラとはユダヤ思想における最高の叡智でセフィロトの樹を通した高次元存在との繋がる為のプロセスを探求する者よ」
 母さん!? 何したり顔で語ってんの!?
「左様じゃ。何、難しく考えるでない。我が我が友に与えた十の垂訓を守り続ければ良い、ただそれだけのことじゃ」
「そうそう、ずっと気になってたんだ……その『我が友』って何だ? さっきから陽子の事を指してるように思えるんだけど……」
 陽子がいつ神様とお友達になったって言うんだ。実は俺も知らないような幼い頃に知り合ってたとか? 旧き盟約がどうこう言ってたしな……
「いかにも。キョータローにしては察しが良いの。我が友と言うのはヨーコの事。ヨーコは、我が友モーセの生まれ変わりなのじゃ」
 モーセ? どこかで聞いたことあるような、無いような……
「知らないの? お兄ちゃん。モーセってほら、海割るやつ!」
「あー……! あれか! 何か昔アニメか何かで見たことあるような無いような! あぁ、って事は十の垂訓ってアレか、『モーセ十戒』の事か! それなら聞いたことあるぞ!」
 段々と思い出してきた。たしかエジプトか何処かから脱出して聖地へ行くお話。でもって、途中の道すがら海を割って渡ってくんだっけ。
「フ……ようやく我の偉大さを理解したか」
 米を咀嚼しながら得意げに言うヤハウェ(仮称)。
「いや、それとこれとは別だけど。お前が神様だとして、陽子がモーセの生まれ変わりだとして、お前とモーセが友達なのか?」
 モーセの名前は聞いたことがあるけど、ヤハウェだかヘブライというのはイマイチ聞いた覚えがない。
「やれやれ、我が友の名は知っておると言うのに、我が名を知らぬとはの。まぁそれも十の垂訓が守られておると言うことの証かも知れぬな」
 ?? さっぱり話が見えてこない。
「良いか? 我が名はヤハウェ。この世で唯一絶対の神でありにして、全能の神(エル・シャダイ)。シナイ山で我が友へ十の垂訓を授けたエピソードは、それなりに有名なはずなんじゃがのう……」
「あー、つまりヘブライモーセ十戒に出てくる神様なわけだな」
「そういう事じゃの」
 なるほど。信用できるかは別として、大体の理解はできた。
「ねぇ、ヤハウェくん。その十の垂訓? って言うのはどんな内容なの?」
「……汝にそれを聞かれると、少し複雑な気分じゃのう。まぁ良い、心して聞け」

 一、汝我面の前に我の外何をも神とすべからず
 二、汝自己のために何の偶像をも刻むべからず
 三、ヤハウェの名を妄りに口にあぐべからず
 四、安息日を憶えてこれを聖潔すべし
 五、汝の父母を敬へ
 六、汝殺すなかれ
 七、汝姦淫するなかれ
 八、汝盗むなかれ
 九、汝その隣人に対して虚妄の証をたつるなかれ
 十、汝その隣人の家を貪るなかれ

「――これを以って十の垂訓とするものなり、と」
「……思ったより普通なんだな、言うほど厳しくも無い」
 ちょっと安心した。毎日何時にどの方角にお祈りしろとか、野菜しか食べちゃダメだとか、一日一善とか言われるかと思ってたからな。
「姦淫とか……えっち」
「何故そこだけピックアップした」
「最低限、これだけは守ることじゃ。さもなくは我が帰れぬどころか、我が友の身にも危険が及ぶやも知れん」
「どういう事だ?」
「我が友に施した奇蹟は、未だ不安定じゃ。その奇蹟は我の力により顕現しておる。そして我の存在が不安定である以上、その顕現も不安定なものとなるのじゃ。もし汝らが戒律を守らず、信仰の力が供給されねば……」
「されねば?」
「我はもとより、我が友の肉体までもが消失してしまうじゃろう」
 急に雲行きが怪しくなってきた。
 何だよ、それ。
「何でそんな、中途半端なんだよ……唯一絶対で全能な神様なんだろ? 陽子一人くらい助けてくれたって、いいだろ!?」
 感情に任せて、バン――とテーブルを叩く。
 倒れそうになったグラスを、陽子が支える。
「お兄ちゃん、落ち着いて……。ヤハウェくんは、わたしのこと、助けてくれたんだよ?」
 陽子の暖かい手のひらが、俺の拳を包みこむ。
「命の恩人に、そんな態度、取っちゃだめだよ……」
 陽子が泣きそうな顔で俺を見上げている。
 確かに、陽子の言う通りだった。
「悪かったよ……ごめん、謝る」
「フン――我は神じゃからな。小さな事は気にせぬ」
「それと、陽子を助けてくれて、どうもありがとう。お前が早く故郷に帰れるように、出来る限りの努力はするよ」
「べ、別に礼など求めておらぬわ。汝の為に助けた訳でも無いしの」
 プイっと顔を背けるヤハウェ。何だ? コイツも案外いい奴じゃないか。
「……ツンデレ
「待てぃヨーコ! 誰がツンデレじゃ! 我の何処がデレてると申す!」
「――ぷっ」
「貴様キョータロー! 我を愚弄するか!?」
「だってツンデレの神様って……女神様ならいざしらず、萌えねぇー、ぷははははっ――!」

 こうして、百瀬家に新たな住人が加わった。
 思えばこれが波乱の幕開けになるとは……

 ――何となく、予感はしてたけどな。

第二話『王国(マルクト):汝その隣人の家を貪るなかれ』


『行ってきまーす』
「行ってらっしゃーい」
「うむ、しっかりと勉学に励むのじゃぞ」
 ヤハウェ(寝間着姿。ファッションセンターしまむらで購入)に見送られるのもいい加減慣れてきた朝の風景。
 俺達の通う県立羽咋高校は、総生徒数六〇〇名弱からなる羽咋市唯一の普通科高校だ。一応進学校らしいが、通ってる当人からしてみれば特に何の変哲もない、地味な高校だ。
 家から学校まで歩きで二十分程度。いっその事、隣の市に住んでいれば自転車通学も許されると言うのに、同市内では学校側が許可してくれない。おかげで一部市外の生徒より登校に時間が掛かると言う中途半端な距離だ。それはさておき。
「あ、恭太郎さんに陽子ちゃん、おはようございます」
 いつもの交差点で、いつものように待ち、いつものように声を掛けてくる女生徒の姿がある。
「おは凛子ー」
「おはよう、凛子」
 彼女の名は奥津凛子。俺達とは幼馴染で、いわゆるお隣さんでもある。彼女はいつもこの場所で俺達を待ち、一緒に登校しているのだ。
「だからさー、凛子。家は隣なんだし、俺達がお前ん家に寄ってから登校すれば早くね?」
「いえいえ、こうしてお二人を待つのが良いんですよ」
 と良く解らん事をのたまう、不思議な御仁だ。
 コイツはコイツで母さんや陽子に負けないマイペース人間(俺の周りはそんなんばっかだな)。とことん世話焼きで、ほっとくと毎朝俺達の弁当まで作ってしまいそうな勢いだ。と言うかほっとくと実際に作ってくる。
 それと、あまり大きな声じゃ言えないがクラスで一番の巨乳。ここ数年でまた一段とでかくなったような気がする。
「――ッ!」
「どうした? 陽子」
「ん……何か今、お兄ちゃんがエロい妄想をしてるような気配を感じた……」
 エスパーか、コイツは。
「何馬鹿な事言ってんだ、早く行かないと遅刻するぞ!」
「……誤魔化した」
 時間には全然余裕があったが、早足で学校へと向かう。
 凛子はその様子をにこにこしながら眺めていた

 ****

「おい、聞いたか? 今日は転校生がくるらしいぜ!」
「ふーん……こんな田舎に転校してくるとは珍しいな。お前、今朝パンを咥えた女生徒と出会い頭に激突とか、してないよな?」
「してるわけねーだろ。どこのエロゲだよ、それ」
「残念だったな、お前は一生童貞だ」
「おい! それだけで俺の一生を決めつけるんじゃねぇよ!」
「……残念ながら、手遅れだ」
「深刻そうに言うな!」
 虚勢を張りながらもうなだれているのは、クラスメイトの雪村俊平。黙っていればモテそうなのに、エロいせいで女子に引かれる可哀想な奴だ。
「大丈夫ですよ、雪村くん。雪村くんの良さを判ってくれる人も、きっと居ますよ」
「おおっ、さすがは凛子! 癒しの女神! 付き合ってくれ!」
「お断りします」
「ぐはぁっ! コンマ一秒迷う事も無く即答ッ!?」
 凛子はにっこりと微笑みながら、しかし一切迷うことなく、俊平を切り捨てた。
「その……申し訳ありませんが、迷惑です……」
「ごふうッ! 酷い追い打ちまで受けたッ!?」
「やめてくれ! 俊平のライフはもうゼロだ!」
「しゅんぺー、フラれたー」
「うっさいわ、百瀬(兄)! そして妹!」
 そんな漫才を繰り広げていると、教室へ担任が入ってくる。
「お前ら、席につけー。ホームルームを始めるぞー」
『はーい』
 (一人を除いて)みんな静かに自分の席に着く。
「さて、一部の生徒は既に知っているようだが、今日からこのクラスに転入生が入ってくる。みんな仲良くするように。さぁ、入ってきて自己紹介しなさい」
 さて、一体どんな奴が来るのやら……雪村じゃないが、男子なのか女子なのかも気になるところだ。

 ――ガララッ!
 ――ダッダッダッ……
 ――バン!

「我が名はヤハウェ唯一神にして、全能の神(エル・シャダイ)である。皆の者、よろしく頼むぞ」
「なん……だと……!?」
 ヤハウェ!? 何だってアイツ学校に来てんだ? しかも転校生!?

 ――ダッダッダッ……
 ――ガシッ!

「先生、コイツ借ります!」

 ――ダッダッダッ……
 ――ピシャン!

「おい、ヤハウェてめぇ、一体どういう事か説明してみろ」
「コホッ……なんじゃどうしたキョータロー、そんな怖い顔をして……それに、我の事はヤハウェではなくヘブライと……」
「こ・た・え・ろ!」
「う、うむ……」
 俺の熱意が通じたのか、素直に質問に応じてくれる。
「実はな……家で留守番をしていると、退屈なのじゃ」
「……うん」
「……」
 沈黙するヤハウェ。俺は敢えて、そのまま聞き返す。
「……それで?」
「それ故に、我も学校に通ってみようかなぁ、と……待てキョータローよ! な、『汝殺すなかれ』じゃぞ! 怒りを鎮めよ!」
 この野郎、何を平然ととんでもない事を抜かしてやがる。神様が学校だと? 馬鹿は休み休み言ってくれ。
「……ハァ」
 退屈だからと言って高校に編入してくる神様って……
「大体、その制服とか、入学手続きとかはどうしたんだよ?」
「侮るでない。我は神じゃ。そのような事、造作でも無いわ」
 何でこういう時に限って神の全能性を発揮するのか。
「あー、わかったよ。好きにしてくれ。お前はウチの遠い親戚って事でいいな?」
「うむ、構わぬ。よろしく頼むぞキョータロー」
 思わぬところで厄介事が増えてしまった。胃が痛い……。

 ****

「へぇー、ヘブライ君って変わってるねー」
「その金髪、地毛なんだ? 綺麗ー」
「なんだか日本人離れしてるよねー」
 ホームルームが終わってからと言うもの、ヤハウェは常に女子に取り囲まれている。予想に反して、ヤハウェはモテモテだった。
「どう思います? 旦那」
「どう思うも何も、なぁ……」
 ヤハウェを観察する俺と俊平。何だこの、何だ? これじゃ完璧に負け組の構図だ。
 そりゃ確かに、転校生が金髪碧眼の異人さんしかもイケメンだったら? 女子も大興奮ですよ。ええ。
 だが、あの良く判らないキャラさえも「そこがまた可愛い!」とか言って人気に拍車かけてるのが気に食わない。更にヘブライという呼び名に関しても、みんな「ヤハウェ」が苗字で「ヘブライ」が名前だと思っている節がある。「俺の事は名前で呼んでくれよ」という爽やかなスタンスだと思われているようだ。非常に腹立たしい
ヘブライ君は、恭太郎さんの遠い親戚にあたる方なんですよね?」
 凛子がそんなことを訪ねてくる。
「ま、まぁな……」
 そういう設定だ。
「今は恭太郎さんの家に寝泊まりしているんですか?」
「ま、そういうわけだな」
「(ガタッ!)何だと!? って事は陽子ちゃんともくんずほぐれつ一つ屋根の下でぐほあっ! おい恭太郎今の発言の何処に殴る必要性がある!?」
「いや、何となくムカついた」
 何だ凛子、まさか凛子までアイツに気があるのか? だとしたら余計に悔しいな。おのれヤハウェ……
「おい、百瀬!」
「は、はいっ!」
 先生に呼び出され、我に返る。
「お前、ヘブライの遠い親戚なんだってな?」
「はい、まぁ一応……」
 嫌な予感がする。と言うか、大体予想はついている。
「だったら、ちゃんと学校の案内、してやるんだぞ。お前が面倒をみるんだ」
「……はい、わかりました」
 やはりそう来たか! うおお、面倒くせぇー……。でも他人にアレを任せるわけにもいかないし、な……
 覚悟を決めて、ヤハウェの面倒を見ることにした。

 ****

「はぁーっ……ようやく授業が終わった……」
 思わず机にへたり込む。
「やれやれ、キョータローはだらしが無いのぅ……」
「誰のせいでこんなに疲れたと思ってやがる!」
 ――ありのままに起こった事を話そう。
 移動教室では突如姿を消し、やっとのことで見つけたと思ったら中庭で昼寝してやがるし、美術の時間はよりによって人物模写で、みんなこぞってアイツをモデルにするもんだから、十戒(「汝自己のために何の偶像をも刻むべからず」)に引っかかって危うく陽子と二人で消滅しかけるわ(身体が透けてきた時にはどうしようかと思った)、授業道具は当然のように何も用意してないわ、女子の取り巻きが物凄いわ……それはもう悲惨なものだった。
「お疲れ様です、恭太郎さん」
「お兄ちゃん頑張った、えらいえらい」
「ありがとう……俺を気遣ってくれるのはお前らくらいなものだよ……」
 人って暖かい、ちょっと泣きそうになる。
「モテる奴は敵だ! くそっ! くそっ!」
 俊平が壁を殴ってる。何か辛いことでもあったのだろうか。
「さ、ヘブライに俊平も、帰るぞー」
「おーう」

 俊平は自転車通学で、しかも家が反対方向なので校門で別れる。
 俺達は長い通学路を三人で歩き出した。
 たまにスーパーやコンビニがあるくらいで、別段変わったものも無い通学路。
 途中で商店街へと突き当たり、そこを抜けてしまえば本当に静かなものだった。駅前にでも出れば、もう少しくらいは賑わってるんだろうけど。
「へぇー、ヘブライ君ってヨーロッパ生まれなんですね」
「うむ。我のルーツを辿ってゆけば、果ては古代ギリシアまで遡り――」
ヘブライは、家族とか居ないの?」
「まぁ、居らんことも無いが……しばらく会ってはおらぬのぅ……」
「そう言えばお前、日本食とか口に合うのか?」
「生の魚は未だに慣れぬが……まぁ悪くは無い」
 他愛の無い会話を交わしつつ歩いていると、程なくして我が家へと辿り着く。
「そんじゃ、凛子。また明日な」
 お別れの挨拶をする。今日はさっさと風呂に入って寝よう。明日以降が思いやられる……
「あ、待ってください」
 そのまま家に入ろうとする俺達を、凛子が制止する。
「良かったら、ウチでお茶していきませんか?」
「お、良いな。迷惑じゃなかったらお邪魔させてもらおう」
「うん、行く」
「うむ、良きにはからえ」
 凛子は昔から、たまにこうしてお茶に誘ってくれる。
 彼女のお手製クッキーは絶品で、淹れてくれる紅茶もとても美味しい。
 奥津家で過ごす放課後ティータイムは、俺にとってまさに癒しのひと時なのだ。

 ****

「あら、いらっしゃい。良く来たわねぇ恭ちゃん」
「どうも、おじゃまします」
 親御さんとの挨拶も済ませ、俺たちは凛子の部屋へと通される。
 部屋に入ると、女の子特有の良い香りがする。相変わらずの女性らしい部屋に少しドキリとしてしまう。陽子の部屋が飾り気無いだけに、余計そう感じるのだ。
「それでは、お茶の準備をしてきます。皆さん適当に崩してお待ちくださいね」
 とりあえず俺達は各々適当に座って、凛子を待つことにした。

 ――数分後
「お待たせしました」
 凛子がお茶とクッキーを運んでくる。
 慣れた手際でソーサーを並べ、カップにお茶を注ぎ始める。
「熱いので、気をつけてくださいね」
「ん、ありがと」
 配られたお茶を、早速一口いただく。あまり紅茶に詳しい方ではないが、鼻に抜ける香りが何とも心地良い。心が洗われる。
 そしてクッキー。口の中でほろりと崩れ、甘みが広がる。店で売られているクッキーと比べても遜色ない、むしろこっちの方が美味いとさえ思える出来栄えだった。
「いやー、やっぱり凛子の淹れたお茶とクッキーは格別だよ」
「うん、美味しい」
「いやぁ、なかなかのものじゃ」
「ふふ、ありがとうございます」
 凛子はにこやかに微笑む。
 いやぁそれにしても美味い。こんなにポリポリ食べてたら太るんじゃないかと思うけど、病みつきになる味だ。うむ、美味いな……
「いやぁ、美味いのう……」
「美味しい美味しい」
 ポリポリムシャムシャとクッキーを貪る二人を見て、俺はある事に気がついた。
「……おい、お前ら」
「どうしたの? お兄ちゃん」ポリポリむしゃむしゃ
「なんじゃ? 改まって」ガツガツぽりぽり
 俺に呼ばれて、こちらへ振り向く二人(しかし決して食べるのはやめない)。
 ……間違いないな。目の錯覚じゃない。
「お前らさ……。身体、透けてきてないか?」
 なんか、どんどん色が薄くなってるんだけど! この現象には見覚えがある。これは十戒に反して信仰が薄くなった時の症状だ!
「……不覚じゃ!!」
「どうした? 何か判ったのか?」
「これは……『汝その隣人の家を貪るなかれ』じゃ!」ぽりぽりむしゃむしゃ
 なるほど、俺達はまんまと隣人の家で貪ってしまっていた訳か……!
「ふーん」ぽりぽりむしゃむしゃ
「これはどうしたものかのう……」ぽりむしゃ
 ちっとも食い止む気配の無い二人。
「おい! 消えかけてる当人らがいつまでもポリポリポリポリと貪ってんじゃねぇよ!」
 ヤハウェだけでなく、陽子……お前まで……
「まぁまぁ恭太郎さん、お代わりなら沢山ありますから……」
「あれ? 何で俺が突っ込まれてるの? 何で君たちそんな平然としてんの? ねぇ?」
「相変わらず意地汚いのう……」ぽりぽりむしゃむしゃ
「……」ぽりぽりむしゃむしゃ
「てめぇに言われる筋合いは無いわ! ていうか、やめて、陽子、ホントに消えちゃうからぁー!」

 ――結局こいつらは目視が困難になるレベルまで食い続けた。
 俺はと言うと、怖くてあれ以降クッキーの一枚も食えなかったし、お茶の一滴すら飲めなかった。仕舞いには凛子が「恭太郎さん、もしかしてお口に合いませんでしたか?」と涙目になり、俺が悪者扱いされるし。俺だって食いたかったさ!

「それじゃ、凛子。今日はご馳走様」
「いえいえ、またいつでもいらして下さい」
「またね、凛子」
「また明日、学び舎でな」
 玄関先まで見送られ、そのまま俺達は隣に建ってる百瀬家へと帰宅した。
「ただいまー」
「あら、おかえりなさい。凛子ちゃんのところに行ってたの?」
「うん、お茶とクッキーをご馳走になった」
「あらあら、ちゃんとお礼は言ったの?」
「もちろん」
 二人がやたら薄いのに、母さんはまったく気にかけていない様子だった。
「お、帰ったか」
「うん、ただいま」
 今日は珍しく、親父の帰宅が早かったみたいだ。こんな時間に家に居るなんて珍しい。
「おやおや、随分と薄くなってしまって……恭太郎、お前がついていながら何てザマだ」
「え、俺のせいなの!?」
 言いがかりも良いところだ。むしろ俺がどれだけ必死に食い止めようとしたか……。
「お前はお兄さんなんだから、もっとしっかりしなきゃ駄目だぞ? そんなことじゃいつまで経ってもアダムカドモンには至れないぞ?」
 まぁ確かに兄としてもう少し務めは果たしたいと……って何だ? アダムカドモン?
「親父、アダムカドモンって何だ?」
「キョータローよ、アダムカドモンも知らぬのか? それでカバリストを気取るとは……くくっ、お話にならんのう」
「クッキー食いすぎて消えかかってる奴は黙ってろ」
「お父さんの言う通りよ。ちゃんとセフィラは計画的に管理しないと……」
「母さんはそれ、セフィラって言葉を使いたかっただけだろ!」
「恭太郎、『汝の父母を敬へ』だ! 陽子とヘブライ君、そろそろ飛びそうだぞ!?」
 見ると二人とも悟ったような表情で空を見上げて、心なしか少し宙に浮き始めている。
「逝くなーっ! 戻ってこーい!」

 あぁ、カムバック! 平穏な日々……!

第三話『慈悲(ケセド):安息日を憶えてこれを聖潔すべし』


「恭太郎、今日は皆で海水浴に行くぞ!」
「なんだよ、藪から棒に……」
 親父が、急に訳の解らんことを言い出した。
 唐突にも程がある。なんか伏線あったっけ?
「いいか? 『安息日を憶えてこれを聖潔すべし』――休日を満喫せずして何がカバリストか!」
「いや、それ絶対カバリストの定義間違ってるだろ」
「うじうじとうるさい奴だなぁ……陽子とヘブライ君を見てみろ!」
「ん……?」
 言われて、後ろを振り返る。
 そこには、涼しげなワンピースに身を包んだ陽子と、水着に浮き輪というどう見ても海水浴する気満々なヤハウェが立っていた。
「お兄ちゃん、早く準備して」
「キョータローよ、時というのは残酷なものじゃ。こうしておる間にも、刻一刻と時は刻まれていくのじゃ」
 何でこいつらこんなに得意げなんだ?
「お弁当もたっぷり作りましたからねー」
 台所から母さんの声が聞こえる。
「どうだ恭太郎! 準備ができていないのはお前だぞ!」
「もうやだ……この家……」
 俺の適応能力が低いだけなんだろうか……まぁいいや、海に行くこと自体は別に不満があるわけじゃないし。さっさと準備しよう。そんな事を考えてると……
 ――ピンポーン
 不意に、インターホンが鳴る。誰かお客さんか?
「ん? 凛子ちゃんかな? いらっしゃい!」
 親父がドアを開ける。するとそこには、凛子がこれまたお出かけ準備をばっちり整えた様子で立っていた。
「すいません、お待たせしましたー」
「親父、凛子も誘ってたのか?」
「うむ。お隣さんとのお付き合いは大切だぞ」
 それは確かにそうかも知れんが……隣の家を誘う以前に、息子にも一声掛けてくれ。
「あの……恭太郎さん、迷惑でしたか?」
「いやいやいや、迷惑だなんてとんでもない! むしろ済まないな、我が家のドタバタに巻き込んじまって……」
 ホント、昔からそうなんだよな。我が家の突拍子もないイベントに、いつも巻き込まれているのがお隣の奥津家(主に凛子)だ。
「正直に言いなさい、恭太郎。お前だって海水浴と聞いて凛子ちゃんの水着姿を思い浮かべただろう?」
「――ッ!?」
 顔を真っ赤にして俯いてしまう凛子。
「なっ……馬鹿、そんなわけあるかよ、このエロ親父! その発言は警察に捕まっても文句言えねぇぞ!」
「キョータローよ、『汝姦淫するなかれ』じゃぞ?」
「お前も黙っとけ!」
 ニヤニヤしながらこっちを見ているヤハウェ。(こっち見んな!)
 そして何故か陽子まで頬を膨らませてご機嫌斜めな様子だ。
 こういう時は『三十六計逃げるに如かず』だ。
「じゃ、俺も準備してくるよ」
「は、はいっ! 気を付けてきてくださいね、恭太郎さん!」
 一体何を気をつけろと言うんだろう? 忘れ物か?
 そんな疑問を抱きながら、俺は部屋で荷造りをした。

 ****

「んー、潮風が気持ち良いな」
 そんなわけで、俺達は車で海まで移動。海水浴場へやってきた。
 女子はとりあえず備え付けの更衣室で着替え。俺はと言うと、親父と二人で簡易テント(サンシェードと言う奴だ)を組み立てたり、パラソルを突き刺したりと、会場設営をしている。
 ヤハウェはと言うと、設営を一切手伝う事無く組み立てたテントにごろんと寝そべり、サボってる。もういい、迷惑さえかけないなら別段突っ込む気も起きん。願わくばそのまま寝ていてくれ。
「あらあら、手伝えないでごめんなさいね」
 着替え終わったのか、母さんがこちらへやって来る。
 白とピンクのシンプルなワンピース水着の上に、大きめのTシャツを重ね着している。Tシャツの上からでもスタイルの良さが目立ち、全く歳を感じさせない。……っといかん! 息子として母親にドキドキしていては立場がない!
「恭太郎……気持ちは判らんでもないが、母さんは――由美子は俺の嫁だ」
「いや、知ってるし」
 息子に対し、何を警戒してるんだこの親父は。
「それにアレだ、お前には凛子ちゃんが居るだろう? なぁ凛子ちゃん?」
「あ……あの――」
 凛子は母さんの影に隠れながらも、おずおずと前に出てくる。
 長い髪は後ろでお団子状にまとめ上げ、オレンジ色のシンプルなビキニに身を包む。少し前屈みになりながら、両手を胸に押し当てて――隠しているつもりなんだろう。
 けど、こっちから見ると押し当てられた手によって余計に胸の質感が強調されてヤバい。
 これ以上見ていると本気で危険な感じがしたので、俺は太陽を見やる。ちくしょう、太陽が目に染みるぜ。(ヤハウェ以外の)神様、ありがとう……
「ど、どうでしょう――変じゃないですか?」
 上目遣いで、凛子が心配そうに尋ねてくる。
「全然変じゃない。むしろ凄く……あー、なんだ、似合ってるよ、うん」
「あ、はいっ! ありがとう……ございます」
 ダメだ、すげぇ照れくさい。そして、どうしても胸に目がいってしまう……! 自重しないと。
 脇に目を見やると、陽子がぷっすーと頬を膨らませてあさっての方向を見ている。
「どうしたんだ? 陽子。何か機嫌でも悪いのか?」
「別に……」
 ……なるほど、アレか。
 陽子の胸を見る。
 別に陽子が特別小さいとは言わないが、二人と比べてしまうと、数段劣るからな……
 そういう陽子は、パステルカラーのボーダーが入ったビキニにカバーアップとパンツを重ねたタイプの水着。水着って言うかは、少し普段着に近いタイプだな。健康的で可愛らしい。
「いいじゃん、お前はお前で十分可愛いよ」
 ポンポン、と陽子の肩を叩く。
「か、可愛い……? ホントに?」
「あぁ、胸は確かに残念だけど総合的に似合って――ゴフッ!? お前今本気で殴ったろ!?」
 俺のボディに陽子の拳が突き刺さった。
「……知らない」
 陽子はテントの方に行ってしまう。はぁ、フォロー失敗、かな……
「さぁてと……、ひと泳ぎしてくるかな!」
「恭太郎さん、しっかりと準備運動しなきゃ駄目ですよー?」
 何だかんだで、はしゃいでしまう俺だった。

 ****

「おい……一体これは何の冗談だ……?」

 ――海が……割れていた。

 今日たまたま偶然この海水浴場に俺達以外の海水浴客が居なくて人通りもないから良かったものの(いやぁホントラッキーだったなぁ)、そうじゃなかったら今頃大騒ぎだろう。
「おい! ヤハウェ! 何となく察しはつくけど……」
「うむ、我が友の起こした奇蹟じゃな」
 さも当然と言うように答えるヤハウェ
「どういう事だ? 陽子が海に入るだけで海が割れちまうのか?」
 亀裂の中心には陽子が立っている。陽子から水平線へと伸びる直線が不自然に盛り上がり、二つに割れている。
「我の眷属たる我が友の霊力が地球の磁場に干渉した結果じゃ。強力な磁場の作用により反磁性である海が割れてしまうのは、いわば当然の摂理……というわけじゃよ」
「俺にはその理論が正しいのかデタラメなのかさっぱりだよ」
 とりあえず、目の前の光景がデタラメなのは間違いないが。
「――お兄ちゃん! これ……」
「どうした!? 陽子!」
 なんだ? 何かあったのか……?
「これ……ちょっと面白い」
 海が割れたことで出来た道を、歩いていく陽子!
「待て! 陽子! 何か危ないから戻りなさい! ほら、兄ちゃんと砂遊びでもしよう! な?」
 何より人に見られると色々困るから!
「……わかった」
 陽子がこっちへ戻ってくる。それと同時に、割れていた海も元へ戻っていった。
 ふぅ、まさかこんな所でもトラブルが起きてしまうとは……今日はゆっくりできると思ったんだがな。
「すまんの、キョータロー」
「ん? どうした?」
 なんだ? コイツが謝ってくるなんて珍しい。
「いや、苦労をかけていると思っての。我の奇蹟さえもっと安定していれば、余計な苦労もかけずに済んだものを……」
「何言ってんだよ、今更。むしろお前が助けてくれなかったら、陽子は今頃生きちゃ居ないかも知れないんだ」
「――それは……しかしじゃ、我は我なりの理由があり、ヨーコの命を助けた。汝に迷惑を掛ける理由には、ならぬ……」
「お前がそういうなら、俺は俺なりの理由があって苦労してんだ。お前にどうこう言われる筋合いは無いよ」
「キョータロー……」
 妙に落ち込んでやがるな、ヤハウェの奴。いつもこのくらい大人しければ良いんだが……これはこれで調子が狂うと言うか、何と言うか……
「お兄ちゃん、お城作ろ」
「おう、今行く! そういう訳だ、まぁ気を落とさずにお前も楽しめよ。せっかく海水浴に来てるんだからさ」

 その後も、砂のお城を作ってみたり、ビーチバレーをしてみたり、スイカ割りをしてみたり――
 楽しい時間は、あっという間に過ぎていくのだった。

 夕飯はバーベキューだ。これもまた、夏の定番である。
 ただ肉をぶっ刺して焼いてるだけなのに、外で食うと美味しく感じるのは何故だろうか?
 もしゃもしゃと肉を貪っていると、凛子が声を掛けてくる。
「恭太郎さん、少しよろしいですか?」
「どうしたんだ? 凛子。改まって……」
「少し、散歩しませんか?」
 まぁ、大体腹も膨れたしな。そう思い、俺は凛子に付き合うことにした。

 海岸線を二人で歩く。
 特に会話もなく、海に沈みゆく夕日に照らされながら。
「あの――恭太郎さん?」
「なんだ?」
「私……以前から恭太郎さんに、伝えたい事があったんです……」
「あ、あぁ……」
 ――こ、これは……!?
 夕日の沈む海辺に二人きりと言うこのシチュエーション、そしてこの切り出し……!
 いや、でもまさか? 凛子が、俺を……?
 なんだか急に意識してしまう。
 あどけない顔立ち、透き通るような髪、女性らしいプロポーション、そして相手に尽くす性格……客観的に見て、凛子はいい女だと思う。
 うわ、何だかドキドキしてきた。

「恭太郎さん、私……恭太郎さんの事――」

第四話『基礎(イェソド):汝その隣人に対して 虚妄の証をたつるなかれ』


「ふぅ……」
 陽射しが暖かい。
 昼休み。俺は窓際にある自分の席でただひたすらにダラけていた。
 昨日から、ずっとこんな調子だ。
「お兄ちゃん、お昼にしよう?」
「ん、あぁ、そうだな……」
 もそもそと弁当を広げながら、パクつく。ダメだな、どうにも調子が出ない。
 凛子の方を見てみる。
 割と普段と変わらない様子で、弁当を食べているのが見える。
 何をそんなに悩んでるんだろう、俺。凛子は普通に可愛いと思うし、好意を寄せてくれている事だって、何となくだが察しては居た。別に、付き合っちゃえばいいんじゃね?
 そんな事を考えていると、凛子と目が合う。
 ダメだ、直視できない。思わず目を逸らしてしまう。
 目を逸らした先で、今度は陽子と目が合う。何かすげー見られてるし……
「……」
「……」
 思わず無言で見つめ合ってしまう。
 陽子の奴、何かしら勘付いているのかも知れない。そりゃそうだろう、俺と凛子の事を一番近くで見ているのは、他でもない陽子なのだから。
 そうこうしてる間に昼休みは終わり、午後の授業が始まる。
 授業の内容なんて、ちっとも頭に入らなかった。

 ****

「キョータロー、どうしたんじゃ? 元気が無いのぅ」
「……うん?」
 夕飯も済ませソファーでゴロゴロしていると、ヤハウェが沈んだ面持ちで話しかけてきた。
 まずいな、コイツにまで気を使われるなんて……
「お前の方こそ、最近妙にしおらしいじゃないか。悪いものでも食べたのか?」
「いや、別にそういう訳でも無いのじゃが……」
 どうしたんだろう? コイツはコイツなりに悩みでもあるんだろうか?
「別に俺は元気が無いわけじゃないさ、ほら、なんだ……最近遊びすぎてちょっと疲れたんだよ」
「そう……か、なら良いのじゃ……」
「お前の方こそ、元気出せよ? さっさと力を取り戻してもらわないと、こっちは何時まで経ってもお前のお守りをしなきゃならないんだからな!」
 バンバン、とヤハウェの背中を叩く。
「その通りじゃな。我は一刻も早く力を取り戻して、この家を去らねばならぬ」
「おうよ、その意気だ!」
「すまぬ、キョータロー。迷惑を掛けた」
「気にすんなって」
 そのまま俺はリビングを後にし、自室へと向かった。

 ――コンコン
 部屋にノックの音が響く。既に時計は〇時を回っているはず。誰だよ、こんな時間に……
「入るね?」
 ガチャリ、とドアが開く。相手はパジャマ姿の陽子だった。
「陽子か……どうしたんだ? こんな時間に」
「その、なかなか寝付けなくって……」
 見ると、傍らに枕を抱えている。最近でこそあまり無くなったものの、昔はよくこうして寝付けないと言っては添い寝をせがまれたものだった。
「お前……いい加減いい歳なんだから、一人で寝られるだろう?」
「……ダメ?」
「いや、別に駄目ってわけじゃあないんだが……」
 駄目じゃあないが、俺からしてみればお前の方こそいいのかよ! と言った感想だ。
「それでは、お言葉に甘えて……」
 陽子がしずしずと俺のベットへ潜り込んでくる。
 正直なところ、俺もこうして陽子と寝るのは嫌いじゃない。隣に誰かが居ると実感出来るのは、何かこう、暖かいのだ。
 難点を言えば、ドキドキしてしまってなかなか寝付けない事。幼い頃は気にならなかったが、この歳になると陽子も同世代の女の子なんだなと否が応にも意識させられてしまう。
「ねぇお兄ちゃん……」
 背中越しに声が聞こえてくる。
「なんだ?」
「昨日、凛子と何かあった?」
「……うん」
 あまり、陽子に隠し事はしたくなかった。
「告白とか、された……?」
「……うん、されたよ」
「……答えた?」
「まだ答えてない」
「凛子の事、好き?」
「そうだな、好きだよ」
「そう……」
 不思議と、落ち着いて答えられた。
 背中に温もりを感じる。その温もりが、俺の事を支えてくれていた。
「私……凛子の事、好きだよ」
「うん」
「お兄ちゃんの事も……好き」
「……」
「私の事は……好き?」
「……好き、だよ」
 自分の中で、きっと答えは出ていたんだ。
 けど、そこから必死に目を背けていた。
 凛子の事は好きなのに、どうしてすぐに答えてやれなかったのか。
 ――それは迷っていたからだ。悩んでいたからだ。
 俺はきっと陽子の事も……凛子と同じくらいに、好きなんだ。
 優柔不断な俺。曖昧な態度で、二人の気持ちを弄んでいる。別に今始まった話じゃない。二人の気持ちには何となく気づいてたし、二人だって俺の気持ちに気付いていたんだろう。
 俺は、意識的に遠ざけていた。二人の内、どちらかを失うのが怖くて、逃げていた。――それなのに。

「それなら、いいの……」
 陽子は、そう呟いて。俺の背中に顔を埋める。
「お兄ちゃん?」
「うん?」
「好き」
「あぁ」
「好きだよ」
「うん」
「大好き……」

 眠れない夜は更けていく。
 いい加減、覚悟を決めないとな。

最終話『知識(ダアト):隠されたセフィラ、神の真意』


「んーっ……、ほら、陽子、朝だぞ。いい加減自分の部屋に戻れ」
「……おはよう、お兄ちゃん」
 今日も天気は良いらしい。窓から眩しい朝日が燦々と降り注いでいる。
「早く準備しないと、朝ごはん食べる時間がなくなるぞ?」
「……ん、わかった」
 陽子が部屋から出て行く。俺もさっさと着替えて、学校へ行く支度をしなくては。

「いただきまーす」
 いつも通りの朝の食卓。だが、その席は一人欠けていた。
「あれ? 母さん、ヤハウェは?」
「そういえば、今朝は見ていないわねぇ……寝坊してるのかしら、恭ちゃんちょっと見てきてくれない?」
「あいよ」
 朝食を中断し、アイツが泊まっている客間を覗きに行く。
「おーい、ヤハウェ、朝だぞー」
 勢い良く襖を開く。しかし、そこには誰も居なかった。
 あいつ、最近大人しくなったと思ったら、また何処かへフラフラと……落ち着きの無い奴だな。
 とりあえず食卓へ戻り、食事を再開する。
ヘブライちゃん、起きてた?」
「いや、居なかったよ。全く、どこをほっつき歩いてるんだか……」
「どうしちゃったのかしらねぇ……最近、何だか元気も無かったみたいだし……」
ヤハウェくん……大丈夫かな?」
「まぁ、あいつなりに何か思うところがあったんじゃないの?」
 神様だって、悩み事の一つや二つくらい、あるだろう。
「ごちそーさま。陽子、行くぞ」
「あ、うん……」
 学校にでも行ってりゃ、そのうちひょっこり顔を出すさ。
 その時はまだ、そうやって気楽に考えていた。

 ****

ヘブライ君、お休みなんですか?」
「あぁ、今朝から居ないんだよ」
 さっそく凛子に尋ねられる。確かに、アイツが転校してきて以来、学校を休むのは初めての事かも知れん。
「今朝から居ないって言うと……もしかして家出とかでしょうか?」
「何故アイツが家出をせにゃならん……旅にでも出たい気分だったんだろう」
 そのうち腹を減らして戻ってくるに違いないさ。
「お兄ちゃん、心配じゃないの?」
「お前らが心配しすぎなんじゃないのか……? まぁ、放課後になってもまだ姿を見せないようなら、探してみるか……」
 結局、放課後までヤハウェが姿を表すことは無かった。
 家に帰ってみても、相変わらず失踪したまま。
 俺達は仕方なく、手分けしてヤハウェの行方を追うことにした。

 ――すまんの、キョータロー
 ――我は一刻も早く力を取り戻して、この家を去らねばならぬ
 ――キョータロー。迷惑を掛けた

 あれは……あいつなりの別れの言葉だったとでも言うのだろうか?
 フザケんな。別れの言葉なら、もっと判りやすい言葉を選べよ、馬鹿……

 ****

 三時間くらいは探しまわっただろうか?
 俺はようやく、ヤハウェの姿を見つけた。学校の屋上だった。

「こんなところに居やがったのか……随分と探したぞ」
「……キョータローか」
 ヤハウェは、フェンス越しに街を眺めている。
 俺はその隣に腰をかけ、尋ねる。
「なんだって、急に居なくなったりしたんだ?」
「すまぬ……別に姿を隠したつもりではなかったのじゃが……言伝を残しておくべきだったの」
「全くだ。おかげで俺達みんな、お前のことを今の今まで探し回ってたんだぜ?」
 携帯を取り出し、陽子に凛子、そして俊平にヤハウェが見つかった旨のメール送る。
「それは……ますますもって済まぬ……。しかし何じゃな、我なんぞ居らぬ方が良かったのではないか?」
「何を今更……もう別に迷惑だとかそういうの、考えちゃいないさ」
「キョータローも困っておったではないか。我が居ることで、皆には随分と負担をかけておる。今回だってそうじゃ」
「だから、もう気にしちゃ居ないって。そりゃ、毎回毎回失踪されちゃ困るけどな」
 どうしたって言うんだ、やっぱりコイツ、元気がない。
「実はの、もう、平気なのじゃ」
「うん?」
「もういつでも、百瀬家を去ることが出来るのじゃ。ヨーコの奇蹟も、既に安定しておる」
「……何だって!?」
 これでもう、あの十戒とやらに縛られる必要も無いってわけか!
「じゃからもう、我は百瀬家に留まることはできん。お別れじゃ、キョータロー」
「お、おう……そうか……。そう言えばお前、向こうにはやっぱ家族とか兄弟とか、居るのか?」
「いや……言ったであろう、我は唯一神。孤高の存在じゃ。家族なぞ存在せぬ」
 そう呟くヤハウェの顔は、とても寂しそうだった。
 何が全知全能の神だよ。
 こんなの、ただの寂しり屋のガキじゃないか。

「――帰るぞ」
「ぬ? 汝は何を聞いておったのだ? もう我が百瀬家に留まる理由はないと……」
「帰るぞ、って言ってんだ」
 俺は立ち上がり、ヤハウェの手を引く。
 屋上のドアがガチャリと開く。
「お兄ちゃんにヤハウェ君……やっと見つけた」
ヘブライ君……帰りましょう?」
「やれやれ、あんだけ探しまわって結局学校に居たのかよー……」
 口々に、みんなが駆け寄ってくる。
「お前の方こそ聞こえなかったのかよ。帰るぞ? お前は俺達の、家族なんだから」

 こうして、百瀬家に新たな仲間が加わった。
 人間ですらない、変な奴だけど……今更一人や二人、変人が増えたところで百瀬家にとってはどうって事ない話だった。