冒頭さらし

 とりあえず冒頭の草稿が完成したのでさらします。後半わけわからなくなりながら書いていたので、後で文章はかなりテコ入れしないとなりませんが。
 作品名は「僕の嫁がツンデレです。」

 あかね色に染まる空の下、手をつないだ少年と少女が立っている。むすばれた指の間からこぼれる光と共に、聞こえるは潮騒。幾度となく見た情景はまぶたの奥に焼きついて、目からそっと、涙をにじませる。
 潮騒に身を沈めれば、僕の胸に不可思議な情動が浮き上がる。倦怠か、やり切れなさか、あるいは興奮なのか。心地よさと悪さが半々の、身悶えしたくなるような掻痒感は、走り終えたあとの酸素がほしくてたまらない時の気分に似ている。
 誰かと気持ちを共有すれば、この胸のもやもやは解消されるのだろうか。それはわからない。けれど誰かと言葉を交わしたくなるには十分なのだ。
 僕は目元をぬぐうとマウスに手を添える。見慣れた情景をディスプレイの向こう側に回収させて、ブラウザを立ち上げてお気に入りから選択。
 表示されるタイトルは――
『ボクの嫁がツンデレです。』
 一年前から書き始めた、僕のブログだ。タイトル通りのことと、たまに漫画やゲームのことを書いている。
「コメントは……三件か」すっかり新着コメントをチェックするのが習慣になっている。二件は面白かったという感想。もう一件は「ハイハイ、ネタネタ」という感想。少しでも面白がってもらえればいいや、そう考えて始めたブログだからネタとして通用すれば幸いといった感じ。僕は編集画面に切り替えて、今日やったゲームのことをぽちぽち書き始めた。
 
 今日の日記を書き終えるころには、小一時間が立っていた。パソコンをシャットダウンして、簡単に家事を済ませると、時刻はすでに十時を過ぎている。
「そろそろかな」
 家を出る準備を始める頃合だ。外はもう寒い。コートを手に取り灯りを消すと、四畳一間の安アパートを照らすのは、止まり際の電気ストーブが放つほのかな光だけだ。この狭い空間なら十分かもと苦笑い。
 部屋を出ると、カツンカツンと靴音を響かせて階段を上ってくる人がいた。
「こんばんは」
 お隣の桜井さんだ。スマートな体つきで口元の黒子が色っぽい美人。化粧が濃い気もするけれど、仕事柄なのだろう。腰の辺りまで伸びた髪をさっそうと揺らす歩き姿は、なぜだか流石と思わせる。
久遠寺さん、おでかけ?」
「ええ、ちょっと駅まで」
「スッキリしにいくの? だったらもうちょっと仕事してればよかったかな」
 彼女独特のユーモア。
「これでも学校の先生だから」
 苦笑いしながら首を振る。彼女が軽く笑って「いつものアレね」といつもの受け答え。ただ、そこからちょっと変化球が飛んできた。
「しかしこの狭苦しいおんぼろアパート、金を稼いでさっさと出たいもんね」
 鮮やかな印象とは裏腹に苦労している桜井さん。たまにはぼやきたいのだろう。
 確かに築三十年という伝統を誇る我が棲家は、その伝統にふさわしいたたずまいである。けれど――
「僕、この狭さ苦しさ嫌いじゃないんですよね」
 ちょっとした感慨を込めて呟いた。それを聞いた桜井さんは目を細めると
「そりゃ君はそうかもしんないねぇ」
「いやいや、人間狭いところのほうが落ち着くもんですよ」
「けど、壁の薄さだけは困りもんね」
 その言葉に返しが詰まる。彼女はアハハと笑うと「私の勝ち」と呟いて、舌を出した。弁護士を目指す彼女に適うわけはない、さっさと退散すべきだろう。
「そろそろ行かないといけないんで」
「ああ、引き止めちゃってごめんなさい。いってらっしゃい」
 ニヒルに笑って送ってくれる。僕の心算なぞ見透かされているらしい。背中に視線を感じながら階段を降りる。
「狭苦しさも嫌いじゃない……か」
 僕は呟いてアパートを後にした。北風は身にしみるが、大したことじゃない。もう潮騒は聞こえないのだから。
 
 アパートから徒歩十五分、鳴海町の中心地である鳴海駅に到着する。鳴海駅周辺はなかなかの栄え具合で、今の時間帯なら、仕事帰りのサラリーマン、学生、酔っ払いの集団でごった返しているだろう。
 本当なら目的地であり待ち合わせ場所である駅へ急ぐべきなのだろうけれど、僕は町並みを眺めながらゆっくり歩く。もう住民は寝はじめる時間だ。静けさとちょっとした寂しさが漂っている。散歩だと思えば、ほぼ毎日のこの行き帰りも悪くない。特に帰り道は。
 それにこうして歩けばいつも通りに――いや、いつも以上かもしれない。視線の先に生ごみを見つけた。違う、生ごみからはみ出す下半身だ。その下半身は女性のもので、困ったことに見覚えがある気がする。
 恐る恐る生ごみへ近づいていくと、予感がゆっくりと自信に変わっていく。僕はその下半身をまじまじと観察する。自信が確信に変わることがないように祈りながら。
 ベージュのスカートに黒のストッキング、足にはハイヒール。全体的にちんまい。ヤバイ、見覚えがある。具体的には朝。
「……千紗都?」
 万感の思いに声が震えた。その声に反応して、生ごみも震えた。
 ああ、無情。帰り道を考えれば、気分は頼んでもいないのに艱難辛苦を与えられた山中鹿之助である。
 僕は生ごみから突き出た尻をつついて声を掛ける。
「千紗都、起きろ」
 生ごみが盛り上がり、背中に生ごみをのっけた全身が現れた。四つんばいになったそれは、状況によってエロティックなのかもしれないが、はなはだ憎らしく見える。
「ほら、立て。ゴミ払ってやるから」
 のっそりと起き上がってこちらを向いた。背丈は僕の胸元くらい、たしか151cm。彼女は僕は確認すると緩やかな笑みを浮かべる。
久遠寺千紗都、ただ今帰りました!」
「ここは道中だ!」
 全身に付着する生ゴミを払いながら、僕はやりきれない思いで叫ぶ。あーあー、ポニーテールに結ばれた髪にゴミがついている。深緑の髪って言えるような、黒く艶のある髪なのに。少し涙目になりながら、こまごまと全身をはたく。それにしても、スレンダーな体型だ。僕の受け持っている中学生の方が発育している。
「綺麗になりましたか?」
「たぶん、大丈夫。ゴミかたさないと行けないからそこらで寝てて」
 背を向けて起き上がったときに散らばしたゴミの掃除を始めると、背中に暖かい重さが加わった。
「うふふー」
 首に腕が絡んできて、耳元に暖かい吐息を吹きかけられる。普段なら大喜びだけれど、壮絶な酒の臭いで台無しだ。
「なに? どうしたの?」
「ふむ。背中がなんとなく寂しそうだったからな」
「何の話?」
「うるさい。いいか、貴様はいつでもそのようだ。だから私が一緒にいてやるのだ」
 見事な絡み酒だ。どちらかというと、僕のほうが面倒をみることが多い。たとえばこの送り迎えも、彼女の究極の方向音痴が原因だ。毎日駅についたら連絡して待つように言っているのに、持ち前の強気で「そんなものは必要ない」と言って迷う。それを僕が見つける。ずーっとその繰り返し。
「はいはい。ありがとう」
 ちょっとむっとして僕は返す。それにしても、動きづらい。ゴミ掃除がはかどらない。
「有馬、信じていないな! 怒るぞ」
「感謝してるって。それに有馬は旧姓――って……絞まる……しまっ……」
「いいかぁ! 私は! べつに! お前が好きではないんだぞ! ただなぁ……そうだ。お前のように鈍感では、私以外に貰い手もないだろうというなぁ!」
 叫ぶな! 首と絡められた腕の間に手をいれると、スペースをつくる。
「わかった、わかった。たのむから叫ばないでくれ」
「そう、これは使命! なのだよ……私は……崇高ななぁ……」
「だから……って、千紗都?」
「……うーん……もう……飲めない……ぞ…………」
 寝ていやがる。なんという台風一過。しかもベタなんだかベタじゃないんだか、よく分からない夢をみていやがる。背中に巻きついた嫁を降ろそうにも、なぜだか首に絡められた腕にはしっかりと力が込められていて、降ろそうにも降ろせない。もうこのままでいい、とりあえず掃除を再開しよう。
 
 掃除を終えて帰り道、背中には健やかな寝息をたてる千紗都がいる。静かな住宅街を歩くのも悪くないが、背中あたりから生ゴミの臭いがするのがネックだ。
 ああ、そういえば。
 ふと思い出した。そういえば彼女と出会ったころも良くこうして家に帰ったっけか。あのころの彼女は、おてんばというよりも腕白で、いつも薄汚れた格好をしていた。孤児院で育ったというのもあるけれど、それよりも気性によるところが大きかった。いつも一本木で、曲がったことが大嫌いだった。東にいじめられる子があれば行って助け、西に勉強ができないと嘆く子あれば行って一緒に考えてやり、そういう奴だった。三歳年下の彼女を面倒見るのは、なぜだかいつも僕で、どうして出会ったのだかは忘れたけれど、都会に引っ越すまではずっと一緒にいた。
 大学生の時に高校生の彼女と再会したけれど、その時も向こう見ずな性格だった。
「……変わらんなぁ」
 そして今も。
「ん……春樹か?」
 背中から声がした。
「起こしちゃった?」
「いや、なに……それよりも降ろしてくれないか。自分で立てる」
「いいよ、いいよ。そのまま背中にいて」
「その、なんだ。悪いだろ」
「僕の我がままを聞いてよ。こうしていると、なんだか懐かしくてさ」
「そういえば、子供のころ、よくこうして貰っていたな」
 首に回された腕が包み込むようになるのと一緒に、そっと背中に体重を預けてきた。
「有馬のお兄ちゃん。そう呼んでいてたのを覚えている」
「そういえばそうだっけ。しかしこの年になってもこうしているとは、想像がつかなかった」
「私も、ずっと一緒にいたいとは思っていたけど」
「さっきは、僕じゃ貰い手がないから一緒にいてやるって言ってたけど」
 僕は苦笑しながら答えた。
「……」
「……千紗都?」
 包むようだった腕に力が込められて、硬くなっていく。
「そ、そのとおりだ。き、貴様は情けないから、から、私が面倒をみなければいけないと思って……だな」
「ちょ、酔った勢いじゃなかったのか。それじゃ、好きでもなんでもないのに俺と結婚したのかよ」
 あんまりな言葉に、つい語調が荒くなる。
「そうだ、貴様のことなど好きでも何でも……いや……うー……その……なんだ」
「なんだよ」
「その……きらいではない……」
 か細い虫の音のような声だった。けど、それだけで怒りはすっと静まり、僕の胸には小さな幸せが宿る。
「ああ、やっぱり」
「やっぱり?」
「いや、なんでもない」
 そう答える。不承不承という風だけれど彼女は黙って、僕の背に深くもたれかかった。
 ああ、やっぱり
 
――僕の嫁はツンデレです。