進捗報告 2/12 分 + 第一章の内容公開

 友人が「かみちゅ」に今更はまったので尾道聖地巡礼してきました。
 色々とリフレッシュされました。ゆりえさまのおかげで小説も完成できるはず(笑)

 それはさておき、今日も10枚で合計78枚です。ゆっくり進行中。
 そして、昨日も書いたとおり、第一章がある程度書き上がったので公開。
 誤字脱字や変な日本語もあると思うけど、こんな感じの物語なのよー、と掴んでもらえれば。
 っていうか、詰め込みすぎだなぁ、我ながら。
 でも、これでやっとスタートライン。


序章

こちら参照

第一章 騎士星の少女

 男子校とは楽園である。
 新川あるじは自らの通う学園のことをそう思っていた。
 なんと言っても女が居ない。それだけで十分だった。
 別に、彼は同性愛者と言う訳ではない。
 女禍やパンドラ、イヴなど、あらゆる神話において災いを持ってくるのは概ね女なのである。そしてなにより、彼は経験上、女というものがいかに厄介なものであるかを思い知らされてきたのだ。常に男は女に振り回され、苦労し、腰にひかれることになる。
 かてて加えてアルジの身長は女子と同程度で、本の虫である彼は握力も下手をすれば女子より下回ることが多々ある。死と隣り合わせの日常のおかげで、逃げ回るための脚力と体力だけは常人以上に持ち合わせているが、腕力と体重で言えば女子に押し倒されれば抵抗できないほどの貧弱君である。
 そんな彼にとって、男子校とは煩わしい人種――『女子』のいない楽園なのだ。
 たとえ、そんな個人のトラウマを差し引いても、やはりここは楽園であるとアルジは思う。女は厄災を持ってくるが、それ以上に問題なのは、異性を前にした男の態度である。男は女の前でつまらない意地を張る。格好をつける。そのために喧嘩もすれば、お金もかけるし、友人関係すらギスギスすることもある。大の親友が女のために長年の関係を終わらせることなど珍しくない。
 しかし、この男子校と言う空間においては、それらの心配は少なく、いつもよりは肩に力を抜いて生きていけるのだ。
 別に、この男子校は全寮制で世間と隔絶されている訳ではない。むしろ住宅地のど真ん中にあり、商店街も近い。なのに、男同士の気軽さに慣れた生徒達は外界でも女と接する機会は自然に減っていくのである。
 そんな男子校の中では世間とは隔絶されたようなゆったりとした、平穏な時間が流れている。それはトラブル体質であるアルジに取ってはとても居心地のいい場所だった。
 とはいえ、そんな楽園も長くは続かない。決められた授業が終わり、終礼が終われば部活のない者はこの楽園から出て行かなければならないのである。
 別に、アルジはいつまでも学校に居たいと思うほどの楽園好きでもない。楽園は平穏ではあるが、外界に比べて娯楽の少ないのである。それに、勉強もしなければならない。進学校と言えど、勉強が好きだと言える人間はなかなか少ない。
「さてと、今日はどのルートで帰るか」
 学校帰りには誘惑が多い。帰り道を考えるだけで一日が楽しくなる。
 少年は来るべき楽しい未来に思いを馳せながら校舎を出ようとする。
 そこで、ノッポの少年に話しかけられる。
「よっ、RG」
「おお、ユキスケ。部活にはいいのか?」
 話しかけてきたのは別のクラスの雪畑誠司だった。勿論、RGと言うのはアルジのあだ名であり、ユキスケと言うのは雪畑のあだ名である。彼とは中学からの腐れ縁だ。進学コースで理系のユキスケと文系のアルジは別々のクラスになったが、交流は途絶えていない。
「ああ、これからや。時間はまだあるわ。こないだの『ギリシャ神話』の読本サンキューな」
「ああ、こっちこそ、『ケルト神話』の解説本は実に面白かった」
 二人ともオタクの常として神話や伝承の類を読み解くのが大好きであり、互いの蔵書を貸し合うことも少なくない。
「お、そう言えば校門に行くなら面白いもんが見れんで?」
「ほう、そりゃどういう意味だ?」
蜘蛛の糸がぶら下がっとる。どいつも釣られまくりやで」
「おいおい、そんなあからさまな餌にひっかかる馬鹿がこの学校にいるのか?」
 仮にもここは進学校である。
「……いやいや、逆だろう。ひっかからないヤツがいると思うか?」
「…………むぅ」
 言われてみれば、どうにも自信がなくなる。なまじっか頭がいいやつが多いだけに、偏屈者や好奇心旺盛な馬鹿も多い。
「まあええ、百聞は一見にしかずやで」
「そうだな」
「じゃ、俺は部活行くわ」
「おう、また本返すわ」
 そう言って、アルジはユキスケと廊下で別れた。
 ――果たして校門に何が待ち受けているのだろうか。また一つ帰り道の楽しみが増えた。
 アルジは鼻歌を口ずさみながら校舎を出て校門へと進む。
 そこで、楽園の崩壊を知った。



 校門には黒山の人だかりが出来ていた。まるで珍獣に群がる野次馬である。
 ――秋葉原メイドさんを囲んでるオタクって確かこんな感じだったか。
 アルジはテレビの中で見た風景を眼前の光景に重ね合わせる。この学校にオタクは多い。「この歳になってまだアニメ見てんの?」と揶揄する異性がいないせいで、アニメを卒業できない大きなお友達が多いのである。深夜アニメ、みんなで見れば恥ずかしくない、という精神である。
 ――いや、恥ずかしいだろう。
 脳裏に浮かんだくだらない妄想を振り払う。
 背の低いアルジではあったが、幸い、集まっている生徒達も校門から帰る生徒に配慮してか道を空けていた。おかげで彼らが眺めているものの正体を見ることが出来た。
 そこにはまさしく女が居た。しかも、同年代の女子高生だ。
 久しく同世代の女を間近に見ていないが、そこそこかわいい女の子ではあった。とはいえ、昨夜であった占い師のように浮世離れした美しさなどなく、クラスに一人か二人はいる、ちょっとかわいい女の子である。男子校にはいないが。
 運動をしているのか引き締まった体つきをしているが、それでいて出るところは出ており、女らしい体つきが青いブレザーの上からでも伺えた。顔立ちも整っており、ややつり目がちなところが見るものに気の強そうな雰囲気を与えている。
 アルジは経験上、間違いなくこの女はお転婆娘であると確信した。運動には不向きな長い黒髪をしているが、背筋がぴんと伸びた立ち姿がその可能性を否定している。
 間違いなくアルジと相性の悪い類の女である。
 多くの男子生徒にとって、学校帰りに女の子が校門で待っているというのはある種夢のようなシチュエーションである。それはここ男子校においても例外ではない。女子がいないせいでなかなか表に出にくいが、腐っても彼らは思春期の男達である。
 女の子が待っているであろう男に嫉妬し、そしてあわよくばそのおこぼれを頂戴しようと待ち構えている者や、もう女の子が自分の学校に来ているというだけで嬉しさのあまりよく分かんない奇声をあげている者など、ともかく誰もが浮き足立っていた。
 とはいえ、自他共に女嫌いと言われるアルジには関係のない話である。彼はざわめく同胞達を無視し、肩で風を切りながら校門をくぐる。
 そこで、足を止めざるを得なかった。
 一人の女が彼の前に立ちはだかったからだ。周囲から敵意の視線が痛いほど浴びせられる。
 ――これだから女は嫌なんだ。
 アルジは口の中でうそぶく。
 念のため、横に一歩ずれる。すると、彼女も横にずれた。反対側に移動しても、同じくついてきた。
 少年は不機嫌さを隠そうともせず、告げる。
「邪魔です」
「邪魔してるもんね」
 へへん、と何故か得意げな顔をする女子。
 この制服は確か近くにある女子校のものだ。あそこはそんなに偏差値も高くなく、普段クラスメイト達も「頭がよくないのに女子校とか」と軽く馬鹿にしていた気がする。
 なのに、背後にいる同胞達は全員がこの女の味方になっているようだった。圧倒的な不利。ここで相手と争うのは馬鹿のすることだ。
 と、すれば行うべきことは一つである。
「ちょっと話があるんだけど――」
「俺にはない」
 口を開いた一瞬の隙をついて彼女の横を通り抜ける。関西人は全国でも歩く速度が速いとよく言われるが、アルジにはその中でも上位に位置するという自負があった。
「ちょっと!」
 聞く耳を持つ必要はない。ただ速やかにその場から離脱することだけを考える。道路にあるミラーなどで確認する限り、学校から後をつけてきた人間は居ないようだ。
 ただし、女はあきらめず、文句を言いながら小走りについてきている。どうやらこの女の相手をしなければいけないのは確定らしい。



 商店街を抜け、国道沿いに歩き、無人の児童公園へ来たところでアルジはようやく足を止めた。そこでふと彼は気づく。学校から商店街まで、数多くの人間に女を連れ回す自分の姿が目撃されたに違いない。明日学校で起こりうる事態を予想し、アルジは思わず嘆息した。
「あーもう、やっと止まった」
 一方、後ろでは軽く息を荒げながら、謎の女子高生が近くの電柱に右手でもたれかかっていた。それでも背筋は伸びており、姿勢だけはいい。もしかしたら、運動と言うよりは格闘技をしているのかもしれない。息が上がっているのは慣れない早歩きをしたからだろう。早歩きは走るよりも余分に体力を消耗するものであり、普段から運動する人間でも長時間耐えられるものではない。
 アルジは仕方なしに相手の息が戻るのを待つ。
 状況としては少しマシになったが、いかんせん相手の目的が分からない。残念ながら、近所の女子校生に因縁をつけられるような覚えもなければ、惚れられるような覚えもない。そして、経験上いい案件であるはずがない。それだけで相手にするのも嫌になる。ただでさえいつも余計な災難に遭うのに――。
「…………っ!」
 と、そこで気づき、思わず周囲を見渡した。学校からここに来るまでアルジは一度もトラブルに巻き込まれていない。いや、目の前の女がアルジにとってトラブルなのは間違いないのだが、いつもならばこの辺で更に何かトラブルが起きるはずなのだ。
「ん? どしたの?」
 急に周囲を警戒し始めたアルジを不思議そうな目で女子高生が見つめてくる。
「……なんでもない」
 何故か釈然としないものを感じつつも、アルジは肩をすくめた。女子高生は首を傾げながらも近くのベンチに座った。
「それよりも本題へ入ろう。
 どのような用件があって俺を訪ねた?」
 単刀直入に聞く。
 すると、待ってましたとばかりに女子高生はびしぃ、とアルジに人差し指を突きつけてきた。
「大切なものを取り返すためよ!
 このドロボーめ!」
 ――ここが校舎じゃなくてよかった。
 少年はそんなことを思った。
「……人違いだ。他を当たってくれ」
「そんな訳ないわ。あんたみたいな変なカッコしてるヤツを間違える訳ないもん!」
 自信満々で言い切る少女。
「他校の、ましてや女子校の生徒と接点を持ったことは一度としてない。お前が俺と出会ったとしていつ会ったんだ?」
「昨日!」
 元気よく返事が返ってくる。――なんだろうか。よくできましたと褒めてやればいいのだろうか。
「昨日って……」
 昨日。昨日の帰り道は本屋を巡り、そしてあの謎の占い師と出会った。そう、あの浮世離れした、美しき魔女に。
 そんな思考を打ち破るように彼女は言った。
「昨日、あんたはあたしの自転車にタックルをして来て、挙げ句の果てに――」
「――ちょっと待て」
 手で制すと女子高生は、盗っ人猛々しいと言った目でこちらを睨んでくる。アルジは思わず額に手を当てた。
「どうやら俺たちの間には決定的な認識の違いがあるようだ」
 なるほど、確かにどこで出会ったかについては解決した。だがそれ以上に、今さらりと酷いことを聞いてしまった気がする。正直聞き間違いであって欲しい。
「何よ? 倒れたあたしを置いて走って逃げた癖に!」
「真っ先にごめんて言って逃げたのはお前だろうが」
「――へ?」
 少女は目を点にしてきょとん、とした顔になる。
「こらこらこら、不思議そうな顔をするな。どんだけ脳内補完してんだ、愚か者めが」
 堂々と言い放つとさすがに少女は動揺する。下手に逆上すれば向こうは自分が正しいと思い込むだけだ。冷静なアルジの対応に、少女はもしかして、自分が間違ってるかも、と思い始めたらしい。いや、もしかしても何もないだろうに。
「で、でも! あんたがカードを持ってるんでしょ! あたしには分かるもんね!」
 わたわたと自説を必死で弁護しようとする少女。色々と破れかぶれだ。しかし、だからといって聞き逃せないこともある。
「ほう。それがお前の言う大切なものか」
「ええそうよ。真っ黒なカード! あれがないと困るのよ」
 軽く譲歩してやると、何故かお願いするように上目遣いでこちらを見てきた。
 黒いカード。
 確かに身に覚えがあった。あの夜。あの激突の後。確かにアルジは黒いカードを拾った。
「――ふむ。それは知らなかった。ていうか、何を探しているかまだ聞いてなかったな。
 で、何故それを俺が持ってると? 証拠は?」
「うっ――」
 軽く聞いてみたのだが、少女は何故か追い詰められたかのように顔を強ばらせる。コロコロと表情が変わり、なかなか見ていて飽きない。
「なんだ。口から出任せか?」
「こ、根拠ならあるもんね」
「へぇ」
「…………」
 黙って回答を待つ。すると彼女はもじもじと指先をいじり始め、ちらりちらりとこちらを見てくる。
「……あのさ」
「ふむ」
「…………絶対ね。ぜぇぇぇったいに、秘密にしてくれる?」
 少女は救いを求めるかのような目でこちらを見てくる。
「…………口は堅い方だ」
 嘆息と共に答える。すると、今度は恥ずかしそうに言う。
「…………ないでね」
「ん?」
「……だから、その……」
「早く言えばいい」
「だからね……笑わない、て約束して」
「へぇ、笑ってはいけないのか」
「うん! そう! 駄目! 絶対!」
 胸の前で両手をぎゅっと合わせながらそんなことを言ってくる。なんかそこは女の子っぽい仕草ではあった。
「約束は守ろう。笑わなくて、かつ秘密にすればいいんだな」
 少女はこれでもかというくらい、ぶんぶんと上下に首を振った。
「では聞こう。何故俺がカードを持っていると思った? もしくは、何故そうだと分かる?」
 少女はベンチから腰を上げ、なんとベンチの上に飛びのった。何度かこほんこほんと咳をして喉を整えた後、やや赤面しながらも胸を張って言う。
「ふふふ……何を隠そう。このあたし、久城あかねはこの世界の平和を守る正義の魔法使いなのよ」
 ふふん、と自慢するように彼女は胸を張る。突っ込み所は色々とあった。だが、ベンチの上で妙に自慢げな少女のえへんとした顔を見ていたら、正直もう、どうでもよくなった。色々とやる気が失せる。
 いつまで経っても何も言わないアルジに対し、しびれを切らしたのか彼女は腕を組んでなにやら愁いを帯びた表情を浮かべ、再び口を開く。
「ふっ……何を隠そう。このあたしは――」
「いや、別にダンディなバージョンはいらないから」
「え? いらない?」
 何故か意外そうに聞いてくる。
「ああ、全く持って無用だ」
「そう……そっかぁ」
 彼女はなにやら落胆してベンチから降りた。律儀に立っていた場所についた土をぺしぺしと手のひらで払う。
 土を払うために彼女はベンチの方に体を向けたため、アルジには背を向けることとなる。おかげで、アルジの視線は目の前でフリフリと動く彼女の腰に釘付けになり――彼はすぐに自己嫌悪で目を逸らした。
「まあいい。魔法使いだから俺がカードを持ってると思うんだな。あ、ベンチに上がろうとせんでいい」
「ええそうよ! 魔法使いの目には全てお見通しよ!」
 びしぃ、と再びこちらの鼻先に人差し指を向けてくる。話題は進んでいるはずなのに、何故かアルジは無限ループの中にいるような錯覚を感じた。
「よし分かった」
「おお、分かってくれたのね」
「ああ。凄い時間の無駄だということが分かった」
「ええっ!? なんで!」
「よし分かった。百歩譲って俺がカードを持っていたとしよう」
「ええ、百歩譲ってそう言うことにしましょう」
「……お前意味分かって言ってるか?」
「いいから続けて!」
「……つまりはそのカードをお前に渡せばいいんだな」
「うん! そういうこと!」
 ぱぁあっ、と輝かんばかりの笑みを浮かべる少女――あかね。
「だが、断る」
「えええっ!」
「この新河あるじの最も好きなことは、自分が絶対に正しいと思ってるヤツにNOと言ってやることだ!」
「趣味悪っ!」
「お前よりマシだ!」
「酷い! 傷ついた! メーヨキソンで訴えてやる!」
「よろしい。では法廷で会おう」
 くるりと踵を返すアルジ。
「――ってちがぁぁう!」
 慌ててずざざざざ、とアルジの前に回り込むあかね。
「ちょー待って。ちょ、ホンマ、ちょー待って。あたし達はもっと互いに話し合うべきだと思うのよ」
「いや、話し合うことなど微塵もないことが今判明したばかりなのだが」
「もう! そのカードは、そのカードにふさわしい持ち主に渡さないといけないんだから!」
 ぷんすか、と言う感じで頬を膨らませるあかね。果たして本当に彼女は同じ高校生なのか。どうしようもない疑念が浮かんでくる。
 なんにせよ、このままではいたちごっこだ。どうやってこの女を追い払おうかとアルジが思案していると、彼の胸元より突如として、新たな声が発生した。
『なんじゃ、その問題ならばすでに解決しておるのよ』
 アルジよりも更に古めかしい言葉遣い。しかし、その声は言葉遣いとは裏腹にあかねよりもずっと幼い童女の如き舌っ足らずさを持っていた。
 アルジとあかねはきょとん、と互いの顔を見つめ合う。二人の顔には同じ言葉が浮かんでいる。
 ――今の声は何?
 二人が絶句していると、アルジの胸元からするりと半透明な童女が現れた。見た目ならば八歳児くらいの少女に見える。その言葉遣いにふさわしい黒いおかっぱの髪型で、どこか古くさい和服の少女である。形としては巫女服に近い。だが、巫女服とは違い、その白い生地には様々な動物の姿が描かれており、なかなか華やかである。
 その半透明な少女は、うんしょうんしょとアルジの体を伝い、学ランの胸ポケットにすぽっと収まった。
『ふう……ここはなかなか特等席なのよ』
「「……」」
 二人は何も言えず、その半透明の童女の挙動を見つめる。二人の視線に気づいたその童女は偉そうにこう言った。
『じゃ、そういうことで』
「――どういうことっ!?」
「聞くな」
 ――馬鹿が増えた。アルジはそう確信した。
「ていうかかわいい!」
『……ふみ。我の美貌に誰もがイチコロなのよ』
「ねえねえ、名前はなんていうの?」
『名前は――ないのよ』
「いやいや、まずこの異常事態にもっと疑問を持つべきだ」
 アルジは冷静に突っ込む。
『……ふみ。お主に異常とか言われとうないのよ。まあ、お互い様かもしれぬか』
「それはどういう意味だ?」
『お主と我の相性はこの上なくよい、と言うておるのよ』
 舌っ足らずな癖に妖艶な笑みを浮かべる名前のない童女
「まさか幽霊っ!?」
『ふみぃ。我を封じたのは貴様等の師であろうに』
 その言葉にざざざっ、とあかねは後ずさった。
「――まさか、魔物」
 さっ、と彼女は胸元から一枚のカードを取り出した。それはアルジの拾った装飾のない黒いカードとは違い、白地に黄色い枠で華美に装飾され、中心に何かの紋章が描かれている。
『虚け者が。貴様はそのカードに何が封じられておるのかも知らぬのか』
「――危険な魔物が封じられてる、て聞いたわ」
『ふみふみ。まあ、危険と言う点では確かに否定しないのよ』
 口に手を当てて、コロコロと笑う童女
 そんな二人のやりとりを見て、アルジは懐から漆黒のカードを取り出した。あかねが「あー、やっぱりぃぃぃ!」と叫ぶが無視しておく。
「成る程、お前はこのカードに封じられている――そう言う訳か」
『飲み込みが早くてよろしいのよ』
 どこから取り出したのか、赤い扇子を口元に当てて、童女は妖しげに笑う。
「ありえない! カードに封じられた魔物が外に出てくるなんて!」
『ふみみ。我をそんじょそこらの低俗な妖と同じにして貰っては困るのよ』
 くすりと笑ってあしらう童女。残念ながら、あかねとは役者が違うらしい。いや、そもそもあかねはあまりにも精神年齢が低すぎるのだが。
『しかし――今のままでは我は何も出来ぬのと同じ。小うるさい餓鬼も同然なのよ』
 童女は胸ポケットからアルジを見上げた。
『だから、少年よ。
 どうか我を助けて欲しいのよ。
 我は悪い魔法使いに狙われておるのよ』
 そう言って、彼女は頭を下げた。
『この通りなのよ』
 あれほど偉そうに振る舞っていたのにその態度は妙にしおらしかった。
「騙されては駄目よ! そいつは悪い魔物なのよ!」
 なにやら白いカードを持ってうー、唸るように威嚇するあかね。その動作はどこか犬っぽい。果たしてこの少女はどこまで幼稚なのか。少しはこの童女の爪の垢でも煎じて飲ませたいところである。かわいさでも童女に負けていると言うのに。
 そう考えていくと、助けてと言われたら断れないタイプの人間であるアルジは童女側に考えが傾いていく。
「さてさて、どうしたものかな」
 とはいえ、判断材料があまりにも少なかった。少なくとも、この童女は明らかに超常的な存在であることは間違いない。だからと言って目の前で対立する両者の話を鵜呑みにするのも間違いである。
 ちらりと周囲を見るといつの間にか空が赤く染まり始めていた。人通りの少なかった街並みに徐々に人が増え始め、街中のそこかしこから行き交う人達の生活音が聞こえてくる。
 ――もう夕方か。
 アルジは時間の浪費を悔いた。いつの間にやら貴重な時間を女のために無駄に注ぎ込んでしまった。
 夕暮れ時。それは昼と夜の狭間である。かつての日本人はこの昼と夜の境界になると、両者の隔たりが失われ、妖の類に遭いやすいと考えた。即ち、逢魔が刻である。
 こんな星空も遠い、アスファルトとコンクリートに囲まれたこの街で、魔物がいるかどうなのかと言う話をするのはナンセンスな気がしたが、現実に起こっているものは仕方ない。自分で見たものは信じるしかない。――そう考えていた時、不意に、アルジの視界がぶれた。
「……ん?」
 一瞬錯覚かと思った。
 ――いいや、違う。
 目の前に移っていた紅に染まりつつある街の風景が、視界に映る全てのものが上下左右にぶれ始めた。まるで世界そのものが揺れ動くような感覚。地震かと思ったが、それは絶対に違うと確信できた。
 大震災ならば経験したことがある。あれは、世界も、自分ものべつまくなくただただ平等に揺るがす巨大な自然の力。
 対して、今ここで起きている現象はあくまで自分の見えている世界だけが上下左右に揺さぶられており、自分自身にはなんの衝撃も感じられなかった。
「あ、やっばいっ! もう夕方だっ!」
 急にあかねが声をあげる。
『気づくのが遅いのよ』
「うっさいわね! まあいいわ! こうなったら仕方ない!」
 そう言って彼女はアルジの手首をぎゅっと掴んだ。
「安心して、あんたは必ずあたしが守ってあげるわ」
 戸惑うこちらを安心させるように力強い笑みを浮かべるあかね。しかし、残念ながらぶれる視界でアルジにはそれをきちんと見ることが出来なかった。それは少し残念だ――とアルジは思った。
 そして、世界は一変する。



 気がつけば紅に染まった無人の世界にいた。
 先ほどまで居た場所とその形は全く同じと言っていい。児童公園の形も、街の形も、なにもかもが同じである。ただ、それらから一切の色が失われ、全てが赤い絵の具で塗りつぶされたかのように赤く染まっている。
 そして何より、音と、人が消えていた。視界には動くものは何も映らず、自分の呼気以外は何も聞こえない。
 ――いや。
 自分の右手を見ると手首にがっしりとあかねの手が握られていた。女性と直接肌を触れ合うのは何年ぶりだろうか。小学校の頃――男子と女子の肌に大して差などなかった気がする。だがしかし、今掴まれている腕を通して伝わってくる肌の感触は、男子のものとは違う、とても柔らかな感じがした。
「どうやら収まったみたいだな」
「ええそう……うわぁぁぁっ!」
 突如、あかねはばっと手を離して十歩くらい後ずさる。
「ん? どうした?」
「あたっ、あたっ、……男の子の体に触った! あわわわわわ、あわわわわわ」
 あかねはこちらの声が聞こえてないのか、顔を真っ赤にしながら両手をじたばたと振り回す。
『ふみみ。初のう初のう。まさに青春って感じなのよ』
 童女がアルジの胸元で笑う。
「うっ、うるさいっ!」
 あまりの慌てぶりにアルジは逆に冷静になった。
「……やれやれ」
 男子校の連中も異性に対しての免疫が極度に低いが、女子校にいる彼女もそうらしい。いや、一般的に女子は女子校に行こうがこんなウブに育たないはずである。精神年齢の低さと相まって今までどんな環境で育ってきたのかとなかなか謎な少女である。
「さてと……ここは一体ど――」
 口を開いた瞬間、大地が弾け飛んだ。
 児童公園の土が噴水のごとく空中へ舞い上がり、一瞬にして巨大なクレーターが出現する。巻き起こる暴風がアルジとあかねをクレーターの外側へと弾き飛ばした。
 大地が爆発したのだろうか。
 ――いいや違う。
 アルジは全身に被った土砂を払いながら立ち上がる。クレーターの中心には巨大な爪のようなものが突き刺さっていた。
 振り返り、空を仰ぎ見る。
 そこには――まさに化け物が居た。形としてはコウモリが一番近いだろう。しかし、その構成物はアスファルトやコンクリートなど人工物を無理矢理寄せ集めであり、バランスが悪い。まるで即席に作られたかのような印象を受ける。いや、実際にそうなのかもしれない。コウモリの周囲にあったビルの壁や街灯がごっそりとえぐり取られている。
「……まるでゴーレムみたいだな」
 ゴーレムと言えば、魔法によって作られた人工生命体の一つとして挙げられる大変ポピュラーな存在だ。ゲーム大国日本の子供達ならば一度はゲームの中で仲間にしたり、敵にしたりすることがある存在だろう。
 しかし、ゲームの中のゴーレムは多くの場合鈍重で単純な思考しか出来ない巨人の姿で描かれる。あのような動物の姿を象らない。
「――成る程、ますます魔法とかオカルトじみて……、て考えてる場合じゃないっ!」
 巨大コウモリは口からキシャァァァ、と叫び、真っ直ぐに地上にいるアルジに向かって急降下しくる。その降下速度は凄まじいものではあったが、その速度故に進路変更が出来ず、コウモリの牙が捕らえたのはアルジが逃げた後の地面であった。
 第二のクレーターが地面に出来上がった時、既にアルジの体は児童公園から飛び出し、無人の国道の方へと移動していた。
「ちょ、なにあの巨大なの! 今まで見たことがない!」
 アルジの後ろを走るあかねが驚愕を口に出す。
「……いつもこんなヤツと戦ってるんじゃないのか? 正義の味方さんよ」
「そんな訳ないでしょ! アホッ! ちょっとは考えてよね!」
「やばいな。今の一言はかなり傷ついたな。謝罪と賠償を要求したいところだ」
 ある程度距離が離れたのでアルジは足を止め、振り返る。すると、彼女もそれにならって立ち止まった。
「っていうか、あんたはなんでそんなに冷静なのよ?」
「ん? まあ、死の危険に晒されるのはいつものことだからな」
 むしろ、アルジにとってはさっきまであまりにも音沙汰がなくて何かむずがゆいものを感じていたくらいであった。慣れとは恐ろしいものである。
「……やれやれ」
 ――我ながらあきれるほどに波瀾万丈が身に染みついている。
 嘆息しつつも、思わず笑みを浮かべる。死が怖くないわけではない。あの化け物が恐ろしくない訳ではない。現に心臓が今にも破裂しそうなほど高鳴っている。
 だが、彼はその感情を制御する術に長けていた。体は生命の危機を感じ、動揺している。だというのに、アルジの思考は至極冷静だった。
「とりあえず、この世界を守る正義の味方なんだろう? 格好いいところを見せてくれよ」
 アルジが言う間にもコウモリは地面に突き刺さった牙を外し、ばさばさとその鈍重そうな体を上空へと押し上げ始めていた。急降下している時以外の動作は遅いらしい。
「も、勿論よ。あたしを誰だと思ってるの?」
 そう言って彼女は全身をガクガクと震わせながら手にした白いカードを構えた。
 ――おいおい、なんて様だ。まるで覚悟が出来てない。
「やい、化け物めっ! あたしが――」
「馬鹿っ! 逃げろっ!」
 爆発が起きたのは叫んだ直後だった。背後から爆風と凄まじい量の土砂が背中を打ち、二人は前方に投げ出された。
 背後には巨大な爪が深く地面に突き刺さっており、新しいクレーターを作り出していた。どうやら、コウモリの体から射出される爪は命中精度は低いらしい。そして、一度打ち出したら次に出すまでに時間がかかるようだ。上空のコウモリの体からゆっくりと爪が生え始めたのが見える。
 倒れていたアルジは素早く起き上がり、地面に倒れたままのあかねに声をかける。
「ほら、しっかりしろ! 相手は行動の一つ一つは遅い! 今のうちに立ち上がれ!」
「あわわわわ、どどどどどどどうしよう! カードが!」
 先ほどの背後からの衝撃波であかねは大事なカードをなくしていた。
 ――なんて間抜けな!
「落ち着け! カードならあっちだ!」
「あ、ホントだ」
 そう言いながら無防備にあかねはアルジの指さした方向へと走る。アルジは今彼女が襲われたら――と心配したが、その必要はなかった。コウモリはアルジに向けて再び急降下を開始したからである。
 即座にアルジはその場から駆けだし、離脱を試みる。数秒遅れて、コウモリはアルジがいた場所に激突し、再び地面にクレーターを作っていた。
 飛んでくる土砂を腕で防ぎながらアルジは分析する。
 敵はその行動の一つ一つに準備動作があり、その準備動作を見逃さなければ攻撃を避けることは難しくない。けれど、問題は攻撃手段だ。こちらは簡単に攻撃を避けられると言っても限界はある。更には爪や牙の攻撃を避けたとしても、その余波で巻き上げられる土砂やコンクリートの破片が体に当たり、地味に体力を奪っていく。
 ――攻撃手段が必要だ――
 と、思っていた瞬間、赤い閃光が瞬いた。この世界は赤という色で塗りつぶされている。しかし、そこに影もなければ輝きもない。だが、あかねの手から放たれたその巨大な閃光は目の眩むような輝きを伴い、コウモリがいた場所を貫いた。巨大な風穴が穿たれ、ビルは少し遅れて内部から倒壊した。
 恐ろしい破壊力を持った攻撃だった。あの一撃ならばあのコウモリも一撃で倒せるだろう。――当たれば、の話だが。
 鈍重そうに見えたコウモリだったが、光が瞬く寸前、翼がはためき、一瞬でその場から離脱していた。鈍重なのはフェイクだったらしい。
「あたしの唯一の攻撃魔法がっ!」
 あかねは頭を抱え、パニック状態に陥っていた。
「敵の移動中に攻撃するなよ!」
「だ……だって! っていうか、どうしよう?! あと一発しか撃てない!」
「ね、燃費悪い! お前は今までよく生き残ってこれたな!」
「だって今までは敵が弱かったもん!」
 二人で言い合っている間に再び二人の中間地点に巨大な爪が突き刺さり、大地に巨大な穴を穿つ。アスファルトの瓦礫が二人に降り注ぎ、アルジは必死で頭部を守り、ダメージをさける。
 ちらりとあかねをみるとモロに爆風と瓦礫を喰らったのか遠くに吹き飛ばされ、地面に叩きつけられていた。
「大丈夫かっ!」
 彼女は――泣いていた。寝転んだまま、ぶつぶつと何か呟いている。完全に心が折れているようだった。今、狙われれば彼女は敵の攻撃を避けられない。
「――くっそ!」
 上空を見上げると幸い、コウモリの視線はアルジに釘付けだった。アルジを睨みながら、空中でタイミングを計っている。
『ふみみ。ピンチのようなのよ』
 胸元の童女が扇子で口元を隠しながら言う。
『はてさて――ありきたりな話だが、力は欲しくないかの?』
 気がつけば額から血が出ていた。いや、額からだけじゃない。学ランの至る所がすり切れ、擦り傷が全身を苛む。このままでは敵の攻撃を避ける気力がなくなるのも時間の問題だった。
「……悪魔とは取引をしない主義でね」
『あのような下賤な輩と一緒にされては困るのよ。我は何も奪わぬのよ』
「へぇ。代償なき取引など存在しないはずだが」
『無論、代償は払わねばならぬのよ』
 上空を警戒しつつ、アルジはゆっくりとあかねの居る位置から微妙にずれる斜め方向へと移動する。敵が急降下したらあかねの元に走れるよう、三角形を描くように移動しているのだ。
「聞こうか」
『ただ誓えばよい。そして、誓いを守るのよ』
 誓いを立てて、それを貫く。それが契約だという。
「ゴーレムの次はゲッシュか。色んな宗派のオカルト要素オンパレードで実に日本らしい」
 ふんっ、とアルジは自嘲の笑みを浮かべる。
「さて、お姫様は何の誓いをご所望かな?」
『純潔を』
 一瞬、足が止まりかけるのをなんとか自制した。純潔。オカルト的にこれが意味するものが何かは聞くまでもない。それでも、念のために聞いてみる。
「それは、処女や、男なら童貞、てところか」
『いかにも。話が早くてよいのよ。最近の若いのは純潔と言っても「なにそれ」とか聞かれるのよ』
 古来より、生け贄といったら処女である。一説によれば、吸血鬼は処女と童貞しかなれないとも言われている。あらゆるフィクションにおいて処女性というのは重要なキーワードだ。
『生涯の全てを我に捧げよ。他に心奪われることまかりならぬ。さすれば我は力を与えるのよ』
 至極当然、と言った風な童女
「それは彼女も?」
 ちらりとあかねに視線をやり、すぐに視界を上に戻す。
 上空のコウモリが体を大きく斜めに逸らすのが見えた。急降下の前の準備動作だ。ぴたりと歩くのをやめて走り出す準備をする。こちらが動くのは敵が降下した瞬間だ。下手に動いて逃げる方向を読まれてはかなわない。
『おそらくそうであろうの。このカードに封じられておればそれくらいしか契約の代償を受け取れんのよ』
「破った際のペナルティは?」
『死あるのみ、なのよ』
「――成る程、理解した」
 言うが早いかアルジは全身の力を足に込め、大地を蹴った。上空のコウモリが急降下を開始したのだ。
『ならば――どうなのよ。我と契約せんか。このまま死ぬつもりはなかろう』
 コウモリが再び国道に大穴を穿ち、アスファルトが暴雨となって降り注ぐ。アルジの背中を幾つものが瓦礫が襲いかかった。幾つか大きな破片にダメージを受けながらも、アルジは笑みを浮かべた。
 何故か脳裏に浮かぶのはあかねの姿。彼女は世界がぶれ始めた瞬間、彼の手を取り、確かにこう言ったのだ。
――「あなたは私が守る――
 あんなことを恥ずかしげもなく言える人間はそうそういない。だから、アルジは言った。
「だが、断る」
 胸元を見ると童女が目を丸くしてこちらを見上げていた。ぽろり、と扇子を手から落とす。
『お主、本気か』
「当たり前だろう。何も知らないお前に人生の全てを捧げられる訳がない!」
 ただひたすらに走る。絶望に打ちひしがれ、泣いている少女の元へと走る。
『強情者め。そのようなことだからお主は不幸なのよ』
 その言葉にアルジは目を丸くする。彼にとってその言葉は心外であった。
「何言ってんだ?
 俺はトラブル体質で色んな不運を引き寄せてるけどな――だからって、俺は不幸なんかじゃない!
 運が悪いなら、それに打ち勝てばいいだけだろう!」
 アルジはにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「この程度のトラブル、いつものことだ」



 近づいてきたアルジにあかねは涙を浮かべながら言う。
「もう駄目よ! もう終わりなのよ!」
「落ち着け! お前は正義の魔法使いじゃなかったのか!」
 叫びつつ――アルジ少し躊躇う。年頃の女の子に自分から触るのは抵抗がある。だが、なんとか手を伸ばして彼女の両肩を掴み、体を起こさせた。触られた途端、びくり、と彼女が体を震わせる。自分より背が高いというのに、やけに小さな両肩だった。
「後一発残ってるんだろう!
 あいつの行動パターンは単純だ。落ち着いて狙えば当てるのは難しくない」
「でもっ! もし失敗したら――」
「敵は、爪を落とす。
 急降下で突撃してくる。
 この二つを交互にやってるだけだ。行動の前後には大きな隙も出来る。
 そこを狙え!」
 要点を絞り、簡潔に伝える。
「そ、そんな簡単に言わないでよ!
 魔法を撃つのにも呪文を唱えないといけないし、その間に敵は動くわ!」
 どうやら、彼女の方でも行動にタイムラグが生じるらしい。
「なら、タイミングを合わせればいい」
「む、無理よ! 出来ないわ!」
 あかねはアルジの手を振り払い、叫ぶ。
「し、進学校に行くような出来のいいあんたや、姉さんとは違うのよ!
 あたしはずっと、二番手で……。勉強でも、運動でも、ずっと姉さんに負けてて――女としての綺麗さでも姉さんには全然敵わないし――。
 やっと……やっと、魔法使いになってやっと姉さんに勝てると思ったのに……やっぱりあたしは駄目な妹なんだわ!」
 死を前にしたからか、ここぞとばかり彼女は自分の中に溜まっていた何かをアルジにはき出す。
「今はそんなこと関係ないだろう! 姉より劣るからそれがどうしたって言うんだ?!」
 無遠慮なアルジの言葉にあかねは激昂した。
「あんたは金持ちで、進学校に行く坊ちゃんで! 今まで大した苦労をしてきたこともないんでしょ! 出来の悪い妹って言われ続けたあたしの気持ちが!」
 轟音と共に大地が弾けた。
 咄嗟にアルジは彼女の細い体を引き寄せ、自分の背後にやった。アスファルトの破片が真正面からアルジの体を叩き、アルジはあかねごと地面に叩きつけられた。相変わらず、爪の攻撃の方は命中精度が低い。
 アルジはよろよろと体を起こす。
「ああ、俺はお前の苦労なんか知らない。
 それどころか、俺にはいいダチがいて、楽園のような学校に行って、毎日色んな面白い本が読めて、楽しく生きてきたような幸せモンだ」
『……お主、本気でそれを言っておるのか』
 思わず口を出してくる童女。アルジはそれを無視し、激痛に耐えて立ち上がった。
 そして、未だ地面に倒れたままのアカネに手を差し伸べる。
「俺の幸運をお前に分けてやる。お前に足りないものを俺が渡してやる」
「足りないもの……何をくれるって言うの?」
 うち捨てられた子犬のような目で彼女は見上げてくる。
 ――くそう、女は卑怯だな。
 女の上目遣いが持つある種の魔力をアルジは感じた。色々と守ってやりたくもなる。
 ――だが、戦うのは彼女だ。
「お前は馬鹿だからな。お前の代わりに俺が考えてやる。俺の言う通りに戦え」
「でも――私なんかが」
 自虐的な声。自分を信じられない弱々しい声。上空でばさばさと言う音がする。
 ――まだだ。まだ爪の再生時間は終わってない。
 何故か敵は急降下するのも爪の再生が終わってからだ。出来の悪いプログラムで動いてるかのような愚直さがある。
 目を背けたい欲求に駆られながらもアルジはあかねの視線を真っ向から受け止めた。
「俺がお前を信じてやる」
 一歩前に踏みだし、顔と体を近づける。
「戦え。安心しろ。お前が失敗しても、俺がついてる限りなんとかしてやる」
「なんとかするって……」
「ああ、なんとかする! 自慢じゃないが、俺は凄く運がいいんだ。一回でいい。後のことはどうでもいい。一度だけ、俺に任せろ」
 その言葉にあかねはくすりと笑った。
「なによそれ……全く当てにならないじゃない」
 言いながら、手を伸ばし、アルジの手を握る。
「でも、そこまで言うなら。一回だけだからね」
「ああ、任しとけ。お前の主人を信じてみな」
 あかねの体を引き起こす。
「え? 主人?」
「リーダーは俺。それに従うお前は部下。上下関係ってヤツだ」
「た、対等じゃないの?」
「その代わり、責任を取るって言ってるだろ」
 上空を見上げる。再生はそろそろ終わりそうだ。
「はいはい分かりました。あいあいさー」
 あまりにも投げやりな言葉にアルジは苦笑した。
「分かってないなぁ。こういう時はアイアイサー、じゃない」
 仕方ないので、教えてやる。
「――――て言うんだよ」
「わお、それ格好いい!」
「だろう? 分かったか?」
 すると、彼女は力強い笑みを浮かべていった。
「イエス、マイ・ロード」



 時間はもう残り少ない。
 手短に打ち合わせする。
「呪文を唱えるのにどれくらい時間がかかる?」
「三十秒以内に」
「呪文を唱えたらすぐに放たないといけないのか? 力を溜めたまま待つことも可能か?」
「チャージは可能よ」
「なら、今すぐ唱えろ」
「へ?」
「いいから!」
 その言葉に彼女は自分の白いカードを取り出し、眼前に掲げる。
「我が久城あかねの名をもって汝に仮初めの解放を与えん」
 彼女の放つ言葉と共にカードの紋章が輝き、声を発す。
【我は誰そ。我が身は何そ。我が存在は何のために?】
 作り物めいた硬質な声が自らの存在意義を問う。その意味を与えるのは魔法使いの役目だ。
 と、そこで敵が大きく体を斜めにのけぞらせた。
 ――来る。
 だが、彼女の呪文はまだ終わっていない。
「汝は光。
 その身は槍。
 我が敵を討ち貫く退魔の武器なり」
 彼女の呪文に応え、カードに見たこともない謎の文字が浮かび上がる。
【スピア・マゼンタ】
 カードの声と共に深紅の光がカードから溢れ――それは巨大な槍となって具現化した。アルジよりも背の高いあかねよりもなお巨大な全長二メートルほどの槍。触れてもいないのに、途方もないエネルギーがその槍に秘められているのをアルジは感じた。
 ――行ける。これを当てればあの巨大コウモリを倒せる。
 思った瞬間――背後の地面が弾け飛んだ。
「二連続で爪だと!」
 新たなクレーターが形成されると共に土砂が降り注ぐ。あかねは即座に逃げようとするが――。
「動くなっ!」
 アルジは暴風と共に襲い来る土砂に耐えながら、その場から動かずじっと、空を見上げていた。
「――でも」
「構えろ。今動いたら後の先をとれなくなる」
「――でも」
 彼女が何か言おうとするが、左方向で再び土砂が吹き上がった。爪が落ちてきたのである。敵の行動パターンが変化し、かつ行動の間のインターバルが短くなっている。
 ――こちらの攻撃の気配を受けて焦っているのか。それとも、時間切れを恐れているのか。
 よく考えればそろそろ日が沈む頃である。もし、ここが逢魔が刻の間しか維持できない場所であるのならば、向こうが焦る理由も分かる。あるいは――時間が経つにつれて向こうの力が増大しているのかもしれない。
 ――だとしてもやることは変わらない。
 砂煙が漂い、周囲の視界を覆った。敵の姿が見えなくなる。
「どうしよう! 敵が!」
「うろたえるな」
 アルジは彼女の肩を叩き、子供に言い聞かせるように力強く、しかし優しく語りかける。
「あかね」
「うん」
「――今から敵が落ちてくる。引きつけて、当てろ」
「えっ?」
 彼女が間抜けな声をあげる。
「ちょっ……そんな」
 すると、アルジはその場に座り込んだ。
「俺はお前を信じる。だから、逃げない」
「…………っ!」
 きぃぃぃん、と言う風切り音が聞こえてくる。時間的猶予はない。
 刹那の逡巡。
「期待してるぞ、あかね」
 力強い言葉が彼女の背を叩いた。
 気がつけば彼女は動いていた。敵の姿は見えなくとも、空を切り裂く敵の方角も分かる。後は投げればいい。
 アルジが投げろと言っている。外れても彼が何とかしてくれる。だというのならば――恐れる必要などなにもないのだ。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!」
 あかねは赤光の槍を音のする方角へと渾身の力を持って投げた。
 彼女の手を離れた瞬間、閃光が全てを貫いた。砂煙に風穴を開け、巨大な光の矢となって、砂煙の向こうにいたコウモリを突き抜け、雲を切り裂き、天を貫く。
 光が通った後には何も残っていなかった。あれだけの猛威を振るったコウモリの巨体も、跡形もなく消え去っている。
 そして、空中からシュルシュルと一枚のカードが落ちてきて、彼女の手元に収まった。彼女の手元のカードは縁を飾っていた金の装飾の形が変わっていた。強い敵を倒したことでレベルアップしたとでも言うのだろうか。
 ――成る程。色々と、ゲームじみてるな。
 アルジはなんとなしに笑みを浮かべる。出来の悪いプログラムの様な化け物。処女を捧ぐことによって得られる魔法システム。色んなものがアルジの中で浮かび上がる。そんな彼の思考であったが――。。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!」
「うおっ、うるせぇ」
 あかねの渾身の絶叫がアルジの耳を貫き、アルジの頭は真っ白になった。
「やったやった! あの化け物を倒せた!」
 ぴょいぴょいと跳ね回り、全身で喜びを表現するあかね。アルジは怒りの声をあげようとしたが――その無邪気な姿を見て嘆息し、そのまま地面に寝転んだ。
「やれやれ……ま、いいか」



 飛び跳ねる少女と寝転がる少年の姿。その映像が一枚の折りたたみ式の手鏡の中に映し出されていた。
 その手鏡を見つめるは一人の魔女。その名をクリオ・ムーサ。昨晩裏路地でアルジと出会った女である。
「――英雄星の少年と騎士星の少女。
 これはなかなかの組み合わせね」
 神像めいた無機質な美貌ににんまりと俗っぽい笑みを浮かべる魔女。
「騎士星は主君の力を増大させる運命力を持つ――果たしてあなたに生き残れるかしら」
 魔女の言葉が夕暮れの路地裏に響き渡る。
 その声に不吉なものを感じたのか、周囲を飛び交うカラス達が一斉に警戒の声を発し始めた。表通りを行き交う人々は何事かと裏路地に目をやる。
 しかし、その時には既に、カラスの恐れた魔女の姿はそこにはなかった。


第二章『魔法少女達と魔女』に続く。



 戦闘が色々とご都合主義で、そこら辺なんとかしたいですねぇ。というか、文章力が欲しいです。