アレが来た

 いま書いているやつじゃなくて一個前のお話。ふと、メタ部のことをすっかり忘れている自分に気が付いたので、問題点についてつらつらと考えてみた。
 問題点とは「メタを扱っているけれどその必然性が薄い」という部分のこと。原案では水切の「小説という枠に閉じこめられている悲壮感」をとことんまで書いてから(今のエンドすら箱庭の象徴として扱うつもりだった)ひっくり返して「読者の現実だってなんの保証もないこと」を煽る方向で終わろうとしてたんですが。
 はい、これめちゃくちゃ後味わるいです。
 なのでそこは変えて、結果あんな感じになったわけですよ。
 でも、kaizenaiさんが仰ったとおり。そうするとメタである理由がない。メタであり、爽快感のあるエンディングを作らなきゃいけなかった。
 が、作れなかった。締め切りが来てしまった。余時間は一ヶ月もあったが、冷静になるという作業が出来なかった。忘れることが出来なかった。ぴしゃーんが来なかった。
 仕方がないのでそれは放置して次のに取りかかっていたのですが…。
 ぴしゃーん。
 …い、いまごろ来られましても(汗)
 まあ、仕方ないんですけどね。「弱めんと欲すれば まずは強めるべし」というやつで根本を思い悩んだときは、まずそれを忘れなければならない。しかもこんな根っこの部分を変えたのは初めてだったからなぁ。
 さて、それでこのネタどうしよう? いや修正するにはもう一度もぐらなきゃならなくて、それは別の事しているからいまは出来ない。しかももう送っちゃってるから修正するのはちょっとあれ。
 せっかく思いついたけどそのまま寝ててもらいます。どのみち練り込まないと使えないからちょうどいいやと思うことにする。
 ちなみにその解決方法とは上記の発展にして逆「水切がお話だと思っている小説の世界を現実とする」事。よーくんは正しく、水切も正しい(そして彼女の全能性はうすれて痛い子に落ち着く。物語の強度も落ち着く)やりかたは一般の小説が前提としてもっている「現実」を揺さぶって「物語がフィクションである」という当たり前の事実を読者に突きつけ、その虚しくさせたあと「観察不能な外の存在を考えたとき、物語も現実も同列である」というのを逆に使って「水切を現実に引っ張り上げる」事。具体的なやり方はその時考える(ちょっと考えたけれどこれはこれで面倒くさい問題がいっぱいある)
 こんな単純な事も、気付けなければ、気付かないもんですね。