救世の品格 一章

 色々と試行錯誤中。

 以下、小説大賞に出そうと思って描いてる小説の第一章です。
 ご意見・ご感想などもらえればありがたいです。
 よければ、暇つぶしにどうぞ。



第一章

 
 通された部屋は実に殺風景だった。部屋を真っ二つに隔てる机とガラス。対面に座るヒゲモジャで白人の入国管理官。そして、出口と入り口、それぞれに鉄格子。
 入国管理所とはこんなものなのだろうか。他をよく知らないので基準が分からない。
 ただ、入国管理官がやたら筋骨隆々なので刑務所の中にいるような錯覚すら覚える。
「持ち物はそれだけか」
「ええそうよ」
 管理官の言葉に泉野いのりは簡潔に応える。バッグ一つと木刀。彼女らしい無駄のない荷物だ。
「へぇ、よくこんなものを持ち出してきたねぇ。銃刀法違反じゃないか」
 入国管理官の言葉に彼女は怪訝な顔をする。
「へ?」
「おや、知らないのかい? 新聞読みなよ。
 日本じゃ、うちみたいな国が出来てから木刀や竹刀の持ち歩きも禁じられたし、工事用スコップも許可なしに使えない。包丁も限られた業者による通販でしか手に入らないとか。
 日本ってのは変な国だねぇ。治安を維持したければ武器で自衛させればいいのに。取り上げたらますますつけ込まれるんじゃないか」
 ハッハッハッと大口を開けて笑う入国管理官に彼女は何も言い返せない。
「まあ、我が国では武器は持ち歩き自由だし、好きにするといいさ。女の一人旅なんだ。武器の一つもあった方がいい」
「へっ?」
 管理官の言葉に不意を突かれ、彼女はこちらを向いた。俺はこの殺風景な部屋で壁に寄りかかり、手続きが終わるのを待っているのだが――。
「あいつは?」
「あいつって? 向こうには壁しかないじゃないか」
 管理官が俺の方を見て怪訝な顔をする。それを聞いてますます不思議な顔をするいのり。
「あー言い忘れてたけど、さ」
「何よ?」
「俺、お前以外の人間にはほとんど見えないから」
「なんですってっ?!」
 叫ぶいのりを管理官はこの子大丈夫だろうか、と不思議そうな眼で見ている。
「奥義《無念無想》。一般人はもはや俺の存在を感知することもかなわない」
 俺の言葉にいのりは絶句する。
 やれやれ、今頃気付くなんてね。山を下りてからこの国に来るまで幾らでも気付くことが出来たと思うのだが。意外と鈍い子だったんだな。……と言うかやっぱ馬鹿だろう。
「次元が違うんだよ、次元が」
 俺の言葉に彼女は何かを言い返そうとするが――。
「で、いつまで壁を睨んでるんだ?」
 白人が流暢な日本語で引き留める。彼にとっては壁に話しかける危ない木刀少女にしか見えないのだろう。とっととおさらばして貰いたいに違いない。ポーン、と管理官の手元にあるパソコンが音を鳴らす。
「おお、書類審査も終わったらしい。おめでとう、我が国は君の入国を歓迎する」
 彼の言葉と共にガラガラガラガラと出口の鉄格子が上に上がっていく。
 それを受けて彼女の表情もきりりと引き締まった。彼女はこれから敵地へと向かうことになるのだ。緊張しないわけがない。
 そんな彼女の気持ちなど知らず、仕事に忠実な管理官は仕事用にしてはなかなか楽しげな笑顔で営業台詞を吐いた。
「ようこそ、独立国家『エスカ』へ」
 
 
 
 日本が崩壊したのはいつの頃からだろうか。
 外国人参政権が成立した頃からか。
 それとも、無防備宣言都市が出来た頃からか。
 はたまた、それらの都市が全てテロリストに占拠されて、それぞれの都市が独立国家の樹立を宣言した頃からか。
 あるいは、それらの都市国家の独立がアメリカや国連によって承認された頃からだろうか。
 原因は数え上げればきりがない。
 なにはともあれ、確かなことは、日本の中には七つの都市国家が存在し、日本政府はそれを取り返そうともしていないことだ。世間では様々な憶測が飛び交っている。これはアメリカ政府が日本に軍隊を持たせるためにCIAによって起こさせたテロだとか。特定のアジアの国々による陰謀だとか。
 結局、日本は軍隊を持つことなく、銃刀法の強化とか入国管理の徹底とかで済まされている訳だけどね。反逆するのではなく、これ以上同じことが起きないように必死で食い止めようとしている。それはそれでいいとは思うのだけれど――。
「納得いかないわ!」
 ――なんて宣う少女が俺の隣に居る訳だ。
「やれやれ、まだそんなことを言うか。別にいいじゃないか。過疎で老人ばっかりの村を食い詰めた外国人達が村興ししてくれた訳だし」
「違うでしょ! 村興しどころか国興し! く・に・お・こ・し! 純然たるテロだから! こんなものをホイホイ許すなんて世の中間違ってるわ!」
 そのテロリストが作った国の中でよくそんな事を大声で言えるものだ。なかなか彼女は器が大きいのかも知れない。それとも、何も考えてないのか。
「よくこの街でそんなことを言えるな」
「私は私が正しいと思うことをするだけよ」
 勝手な子だね。
「しかしまあ、パンフレットによれば建国四年てことなのに建物が充実してるな。そこら辺はどうやったんだか」
 辺りを見回せば山中には不釣り合いなビルが幾つも並んでいる。見た目だけならば日本の都市部と遜色ない。あるいはそれ以上かもしれない。円錐形や直方体など、建物の造形はどこか簡略的で、建物と建物の間をつなぐ立体交差点も多く、まるで漫画に出てくる近未来都市である。また、山中のせいか、傾斜が多い地形であり、建物はそれに半ば埋もれるように建てられている。建物の正面玄関が二階や三階にあるものもざらだ。
「なんというか――大学のキャンパスみたいだな」
「あら、大学なんかに行ったことあるの?」
「ああ。師匠と全国の山を回っていた時、色々と山の中にある大学も見た。そういうところは地面に建物が埋まったようなデザインのところもあった」
 元々の傾斜の激しい地形を活かした都市構造――なのだろうか。
「ふうん……言われてみればなんか地面から建物が生えてきたみたいね」
 成る程。言われてみればそう見えなくもない。
「色々と不思議な国だな。本当に、ここが同じ日本の中とは思えん」
 特徴的なのは建物だけではない。街の至る所に液晶モニターやスクリーンがあり、そこには武器を持った男達や格闘家達の戦う姿が映し出されている。中には常人離れした動きのものも多い。隅っこに『LIVE』の文字があるのでリアルタイムなのだろう。
「大体ね。この国を興したテロリスト達は元傭兵であったり、あるいは業界から干された格闘家であったりと戦闘狂が多いらしいのよ。力を持て余した彼等の発散の場として毎日武闘大会が開かれたりして、それがこの国の観光収入にもなってるのね。テレビの放映権もかなり高く日本に売られているらしいわ。しかも、珍しいからって日本のマスコミは我先にとその放送権を買いあさってるらしいし。
 自分の土地を取られた国民の対応としてそれはどうなのかしら?」
 まあ彼女の言いたいことは分からんでもない。だが、意外と日本人は冷たいものだ。田舎の土地が一つ二つ減ったところで都市部の人間は特に気にしない。むしろ、この国が出来てからこの周囲は新幹線が来るようになったりして交通の便が発達して、逆に栄えだしたらしい。まさに塞翁が馬、てやつだ。北方領土竹島も一部の人達が必死になってるだけで多くの日本人は気にしてないのが実情なのだ。
「まあ、日本人は呑気だな」
 肩をすくめると彼女は大いに頷く。
「でしょう? だから、私が取り返してあげないとっ! このままじゃこの国はダメになるっ!」
「いや、逆にこのままエスカはエスカで発展すればいいんじゃないか」
 あごをさすりつつ、呑気な事を言うと睨まれた。そもそもこの国が成り立ってるのはほとんどが日本人観光客からの収益だと言う事実を考えれば、似たような事を考えている人間は少なくないはずである。この国は海がなく、食料や物資はほとんど日本を経由しなければなりたたない。日本のど真ん中にあるせいで、逆に日本に依存せざるをえないのだ。国家形態として独立はしているものの、日本の半植民地みたいなもんじゃないだろうか。宗主権はないけど。
 溜息をつき、ポケットに手を入れようとして気付く。そう言えば今の服にはポケットがないのだ。
「で、俺はなんでこんなど派手な服を着ないといけないんだ?」
 改めて自分の服装を見直す。それは眼に痛い深紅に染まった着物である。明らかに日本文化を勘違いした外人の産物に思える。いや、意外に作りはしっかりしてるので勘違いした外国人向けに日本人が作ったのかも知れない。この国には高齢の日本人の職人さんが意外といるらしいし。
「あんたの存在はあやふやだからね。遠目でも分かりやすい服装の方が迷子でも探しやすいでしょ」
 無論、これは無一文の俺が買ったものではない。俺のボロッちい服が気に入らないと理由でこの国に入って真っ先にいのりが俺に買い与えたものだ。なんというか、この子は俺の母親のつもりなのだろうか。そういえば、あの服屋のおじさんには赤い着物がいつの間にか虚空に消えるように見えたんだろうな。今頃腰を抜かしているかも知れない。
「俺が迷子になることはない。君じゃあるまいし」
「私が昔したのは遭難よ。迷子なんかじゃないわ」
 ふん、と顔を背けるいのり。うん、やっぱりこの子は可愛い子だ。しかし、そんな彼女を親子連れが不思議そうに見ている。
「ねえママ、あのお姉ちゃん誰と喋ってるの?」
「シッ、指さしちゃダメよ」
 なんて分かりやすい変人認定だろうか。いのりが視線を向けるとそそくさと母子は去った。
「ちょっと、あんたのせいで変人扱いされてるじゃない。なんとかしなさい」
「さあてね。俺が周りに見えないのは意図的にしているのではなく、ただそう言う『在り方』をしているだけだからな。どうしようもない」
 俺の説明にいのりは納得いかないようだったが、周囲の通行人の目が気になり、そそくさと歩き出した。
「ふふ。まあそれはいいとして、当面の目標はなんだ? まさかこの国を一人で落とすつもりか?」
 その言葉に彼女は眼を細めた。怪しげな、危険な笑みが浮かぶ。
「そのまさかよ」
「……お嬢様学校に行ってるくらいだから頭がいいと思ってたがそうでもないんだな」
 まあ、俺と再会してからは俺を倒すために授業をサボってずっと剣に打ち込んでいたらしいが。
「テロリストの親玉――《キング》を倒す、それでおしまいよ」
 ――まさかここまで単純馬鹿になっているとは。近代の組織とはそんな簡単に瓦解するものではない。俺は思わず大きく溜息をついた。その仕草に彼女はむっ、とする。
「お馬鹿ね。この街そのものがそういう仕組みになっているのよ」
 彼女はそう言い放つと周囲に目を向ける。《キング》を倒す――そう告げた時から道を行き交う人々が立ち止まり、彼女を見ていた。無論、俺の姿は彼らには見えていない。彼らの姿は様々だが、一つ大きな共通点があった。それは眼。ここにいる誰もが戦士の眼をしていた。
 ――そう言えばこの国の人間は戦闘狂が多いとか言ってたな。
「久方ぶりだな。《キング》への挑戦者は」
 よく通る声と共に人混みが割れた。
 その先に居たのは長身の白人の美女と、それに並び立つ筋骨隆々の男。それは奇妙な取り合わせだった。美女の方はビジネス街にいそうな、ぴっちりとしたスーツ姿なのに対し、男の方は上半身は羽織ったジャケットの下は裸で、下にアーミーパンツを履いているだけである。二人の共通点と言えばせいぜい白人であることとメガネをしていることぐらいだろうか。筋肉の塊のような大男がメガネをかけているのはなかなか奇妙な感じがした。
 また、男の方はその好戦的そうな服装に反し、そのメガネの向こうには理知的な瞳を覗かせている。顔だけを見れば優しげな、大人しそうな青年に見えた。むしろ、好戦的な印象で言えば声をかけてきたスーツの女性の方が鷹のように鋭い目つきをしている。
「《キング》への挑戦は遊びではないぞ」
 スーツの美女が視線と共にいのりを牽制する。
「《キング》はいついかなる時、誰の挑戦も受ける。それがこの街のルールではなくて?」
 微笑みながらも、彼女は手元の木刀を強く握った。バッグは背負ったままだが、いつでも投げ出せる状態ではある。
 ――まあ、この人数に囲まれても彼女ならば切り抜けることも出来るだろう。耳をほじりながら俺は冷静に分析する。だが、美女と大男の方は厳しいだろう。
「いかにも。それが我らのトップに立つお方の言葉だ。
 しかし、我らが《キング》は忙しい。戦う資格のない弱者は我らがその力を試すことにしている」
 いのりはスーツの美女の視線を真っ向から受け止める。
「それはこの街のルールなのかしら?」
「いや、我らが勝手に行っているだけだ」
 そこで、美女の後ろに控えていた男がゆっくりと前に出た。
「でも、僕を倒せないようなら、《キング》に勝つなんて夢のまた夢ですよ」
 顔つき通りの、優しげな、子供を諭すような思慮深い声。その体格と相まって象やサイなどの大動物みたいだ。
 ――ま、象もサイもいざとなったらライオンを殺すほど強いんだけどな。
 俺はニヤニヤと笑いながら事の成り行きを静観する。これは彼女にとっての初の実戦のはずだ。彼女の成長を見るのにいい機会だろう。
「君も一角の戦士と見ました。ならば――僕が相手を務めましょう」
 その言葉に周囲の人間が驚きの声を挙げる。
「《七誓人》(ザ・セブン)のテズマ様が直々に相手を!」
「どういうことだ!」
「わざわざあんな小娘相手に!」
 ざわめく取り巻き達。どうやら彼は相当な強さらしい。なにやら《七誓人》(ザ・セブン)とか大層な称号までついてていかにも大物臭い。
 だが、当の本人――テズマと呼ばれた大男はただ静かに微笑みを称えていた。その立ち振る舞いはどんな風が吹こうと揺るがぬ山のようである。
 ――やはり、ただ者ではない。
「――彼女に警告を与えないのか?」
「見れば分かる。あの子は言って聞くような人間ではないよ」
 テズマの言葉に美女は肩をすくめた。
「で、結局どういうことになるのかしら?」
 木刀を握ったまま、いのりが尋ねる。
「僕――テズマ・ステインが、君に決闘を申し込みます。受けてくれますか?」
「私にそれを受けるメリットは? とりあえず、テロリストには屈しないことにしているのだけど、メリットがあるなら考えなくもないわ」
「《キング》はとても多忙です。常人では会うことすら出来ません。
 だが、僕に勝てば彼への謁見を取り持ちましょう。
 そして、僕が勝てば――そのテロリスト呼ばわりはやめて貰います」
 いのりはじっとテズマと、その傍らの美女を見比べる。単純な彼女もさすがにこれは罠ではないかと疑っているのだろう。なにより、いのりの認識では相手はテロリスト。正々堂々戦うと信じられる訳がない。
 そんな気配を感じたのか、美女は鋭い目つきを更に鋭くし、口を開く。
「なめるなよ、小娘。
 決闘の結果は絶対だ。この国において決闘は神聖であり、不可侵のものだ」
 美女の言葉にいのりは肩の力を抜き、笑みを浮かべた。
「なるほど。そこの男が負けるなんて微塵にも思ってないのね」
 彼女の心眼は相手を信じるに足る存在だと認識したようだ。
 警戒を解き、彼女は荷物を投げ捨てた。そして、木刀の切っ先を相手へと向け、宣告する。
「いいわ。決闘を受ける」
 瞬間――街が沸き立った。
 いのりを取り囲んでいた戦士達が、それを遠巻きに見ていた通行人達が、この場にいたほぼ全ての人間が歓声を上げた。
 いのりと、テズマ。二人の人間を中心にして人々の熱気が街へと感染していく。気がつけば街の至る所に設置された液晶スクリーンにいのりとテズマの姿が映し出されていた。下手をすればこの街の全て――つまりはこの国の全ての人間が彼女達の戦いを注視しているのかもしれない。
 あまりの熱気にさすがのいのりもあっけにとられ、木刀を持ち上げたままぽかん、としている。そして――どっ、と汗を流し始めた。今にして事の重大さに気付いたらしい。
 ――いや、まあ、俺にはさっぱり分からんのだけれどね。
 正直この観客達のテンションの高さについていけない。
「へぇ、こいつは凄い騒ぎだな。たかだか小娘と大男の喧嘩でしかないのに」
「誰が小娘よ、誰が」
「別に、誰とも言ってないさ。それとも、小娘の自覚があるのか?」
「……まあいいわ。そんな減らず口を叩けるのも今のうちよ。
 覚悟していなさい」
 彼女は溜息をつき、木刀を降ろした。さっきまでの緊張した顔はどこにいったのやら。いつもの彼女に戻ってしまった。脳天気なヤツである。
「……誰と会話している?」
 美女が訝しげにいのりを見る。
「別に。ちょっと幽霊と喧嘩してるだけだから気にしないで」
 ますます美女は顔を歪めるが、傍らに居る細目の巨人は何か合点の行ったような顔をした。その顔には何故か理解の色がある。
「成る程。やはり誰かいるんですね」
 おや、やはりこいつはただ者ではないようだ。試しにつかつかと彼の前に歩いて顔の前に手をかざしたり、パンパン、と手を叩いてみる。だが、彼は俺のことには一切気付かず、じっと彼女を見ている。
「先ほどから何か――どうも違和感があったんですよね」
「もしもーし。もしもしもー。聞こえますカー?」
「あなたはどうも僕たち以外に、後一人分の注意を外に払っている。そんな気がしていました」
「へいへいへー! そのもう一人はお前の目の前さ! はい、くるっと背中に回って、腕が四本! なんちゃって!」
「君には――ん? 何を笑ってるんですか?」
 テズマの周りで色々とおふざけをかましていたのだが、残念ながら見えているのはやはりいのりだけらしい。必死で笑いをこらえているいのりを周りは不思議な顔で見ている。しかしまぁ、意外と笑いの沸点低いな、いのり。関西人として大丈夫か。いや、京都のお嬢様にはお笑いを嗜む趣味はないってことかね。
「残念。こいつには俺が見えるほどの心眼はなしか」
 溜息をつくと、何故かいのりに睨まれた。
「……む、私の隣に何かいるのか?」
「別に」
 少し気味悪そうに美女はこちらを見てくる。まあ、彼女には見えてないんだけどね。せっかくだから胸を揉んで差し上げるべきか。いや、他者に触れればさすがに認識されてしまう。いちいち話をややこしくするのは止めておこう。
 実のところ、俺も彼女の初陣には興味があるのでね。
「まあいい。
 決闘の立会人はこの私――イルゼ・ヴェーゼがつとめよう。
 お前の名は?」
「泉野いのり」
「では、イノリ。決闘の形式を決めて貰おう」
「《インスタント》で結構。今すぐこの場で戦ってあげるわ」
 よどみない答えに美女――イルゼも頷いた。
 いのりも適応が早いな。
 そう言えば、決闘については一応入国審査の時に説明は受けていたな。この国では決闘が認められてて法律で細かく決められてるのだとか。色々と面白い国である。というか、いのりはよくルールを覚えたものだな。
 いや、いのりのことだ予め調べてから来たのだろう。
 決闘は正当化され、それはこの国を治めるという《キング》にも適応される。だから、《キング》を倒せば、それでオッケーと言うことに違いあるまい。
「では、時間制限は十分。武器制限なし。フィールドは十メートル四方。
 まいったと言うか、相手を外に出す、あるいは片方が戦闘不能になった段階で終了。
 こちらで間違いないな」
 イルゼの言葉に二人の決闘者は頷いた。戦闘不能は何を持って判断するんだ? 立会人による独断か? まあ、詳細なルールがどこかにマニュアル化されてるのだろう。
 よく見ると液晶スクリーンその他細則がずらりと並んでいる。情報化時代の決闘は便利だなぁ。全部読んでるヤツなんているのだろうか。まあ、電化製品を買う時にやたら小さい字でずらずらと書かれた利用規約を全部読むやつなんていないし、世の中そんなものかもしれない。
 観客達からはなんだ時間無制限じゃないのか、とかスタジアムに移動しないのか、などと色々と文句があがったが――それでも久しぶりにテズマの戦いが見れることに興奮している者達が多いようだった。
 で、観客達の話を統合すると、《七誓人》(ザ・セブン)とはこの国の《キング》に忠誠を誓った七人の強者のことらしい。全員がこの国のトップクラスの強さを持つ戦士で、政治的にも要職を務めているのだとか。
「……戦士に政治?」
 観客達の声に思わず首を傾げる。力を求める者は自らを更に上の段階へと引き上げるために自らを鍛える。政治なんて他者のために、多くの人のために行う行為に武闘家が向いてるとは思えない。
 ――まあ、武闘家というよりは、武将なのかもしれないが。あくまでも武力を自分の思想を体現させるためだけの手段として用いてるのかも知れない。というか、シビリアンコントロールとか糞喰らえな国なんだなぁ。さすが日本から独立しただけある。
「だとしたら、少し残念だ。俺と戦えるほどの高みに達しているヤツなんていないかもしれないな」
 とはいえ、目の前にいるテズマの肉体は非常に洗練されており、その立ち振る舞いも実に隙がない。そんな彼が忠誠を誓う《キング》ならば、期待できるかも知れない。
 それに、この国が単なる暴力的なテロリスト達によって作られたものでないことはもう間違いないだろう。たとえ、テロリスト達が作った国であったとしても、とても面白いテロリスト達が作った国に違いない。じゃあそのトップは更に面白い人物かもしれない。
 強さなど関係なしに俄然興味が沸いてくる。
 ――よし、ちょっと《キング》の面(つら)を見に行くことにしよう。
 うんうん、と俺が頷いている間にイルゼの部下らしき者達によって決闘者達の周囲十メートル四方に黄色いテープで仕切られていた。どうやら準備は整ったようだ。テズマもばさり、と上着を脱ぎ、上半身裸で静かに構えを取った。
 それまでざわめいてた観客達が静まりだす。おそらくこの国の人間全てがこの戦いに注目しているのだろう。
 いのりも戦いに向けて精神を集中している。ここで俺が「じゃあちょっとキング見に行ってくるわ」とか言って邪魔をするのも悪い。――っていつもそんな意地悪をしていた気もするが、まあ、初陣くらいはまともにやらせてあげよう。
 俺は精神を集中し、呼吸をする。山の中なのに変な建物が多くてここら辺は《気》の流れがあまりよくない。それでも、俺が取り込むのには充分な量がある。
 師匠の《千里眼》と同等とは行かないが、俺でも《気》の流れを読んで周囲を感知することくらいはできる。言うなれば《十里眼》ってところか。まだまだ俺も未熟だな。
 目をつむれば多くの人間の気配が脳裏に浮かび上がってくる。溢れんばかりの人、人、人。
 ――ん? おかしいぞ。
 山中だというのに小動物の気配が極端に少ない。特に、こういう人工の街に多いカラスの気配が全く見あたらなかった。
 ――まずいな。この国に長期滞在するのは危険だ。
 とある可能性に気付いて思わず息を飲む。ぼやぼやしていられなくなってしまった。
 ――まあいい。今は《キング》を探そう。
 そして、一際大きな《気》を集めている存在を感知する。その称号の通り、王にふさわしい《気》の流れだった。周囲から《気》がその人物に向かって流れている。《気》とは生命エネルギーであり、実はどんな生物も生きていればそれだけで周囲の環境から微量ながらそのエネルギーを貰い受ける。だが、この人物はただそこにあるだけで周囲から《気》を『引き寄せている』のだ。カリスマを持つ人物などはこういう事が多い。そして、自身も相当な力を持っている。
 これは楽しみだ。
 俺は開眼し、そちらの方向へと目を向けた。この国の中心にある塔のような円錐形のビルの最上階。どうやらそこに《キング》は居るらしい。
 周囲の人間は皆、背後で始まろうとしている外から来た謎の少女いのりと、この国の英雄の一人たるテズマの戦いを注視している。
 果たして《キング》もこの戦いに注目しているのだろうか。
 だとすれば――いきなり訪問すれば驚くことだろう。
 それを予想すると意地悪な俺は自然と顔がにやけた。
「では、これよりテズマ・ステインと泉野いのりによる決闘を開始する」
 ――よし、行くか。
 息を吸い《気》を整える。
 目指すは塔の最上階。そこへ、向かい、俺は大地を蹴る。
 それと同時に、背後で二人の戦いを告げるイルゼの声が響いた。
「始めっ!」
 
 
 
 着地するとそこは大理石で作られた広い会議室があった。床も天井も黒い大理石がピカピカに磨かれ、そこにいる人間を映し出している。中央には大スクリーンが置いてあり、そこには決闘を開始したいのりとテズマの姿が映し出されていた。両者はまだ一歩も動かず、互いに木刀と拳を構えたまま彫刻のように静止している。
 それを見つめているのはいかにも偏屈そうな鋭い目をした中国人らしき老人と、人形を抱いた白人の少女、テーブルの上でパソコンに何かを入力している秘書らしき白人でスーツ姿の女性、そして、最後に会議用の巨大なテーブルの上座に座る青年である。
 一目でその青年がこの街の支配者であると分かった。ただ座っているだけで圧倒的な存在感を醸し出している。この部屋の人間はどれも人の目を引く奇抜なメンバーだが、青年はその中でも飛び抜けていた。彼の頭を彩るのは雪にように純白な髪である。銀髪ではなく、全ての色が抜け落ちた白髪だ。果たして彼はどのような地獄を見てきたのだろうか。唯一眉毛だけが彼の地毛が金色だと主張していた。
 当然、この部屋に入った俺の姿に誰も気付くことなく、誰もがテレビを見ている。俺は位置確認のために窓の外を見た。部屋の壁の一つがガラス張りになっており、この国を一望出来るようになっている。この国は塀に囲まれ、地面からは巨大なタケノコみたいなビルがにょきにょき生えており、なかなか面白い景色だ。同じ日本とは思えない。そして、二つ通りの向こうではにらみ合ういのり達の姿が見えた。
 距離的には一キロくらいだろうか。本当に小さな国である。このくらいの距離ならば縮地の使える俺にとってはないに等しい。
 縮地。とある地点と地点との移動を短縮する我が流派の秘技の一つである。英語だとワープって言うのだったか。SFでは訳の分からない理論を述べて語られるが、大地の気の流れを知ればこれくらい造作もないことだ。
「――ネズミが侵入したようだ」
 突然の声。くるりとガラス張りの壁から室内に顔を向けると青年と目が合った。綺麗な蒼い眼がじっとこちらを見つめている。
 ――まさか、こいつ俺が見えているのか。
 瞬間、部屋の人間達が顔を険しくする。
「馬鹿なっ! 侵入者の気配などどこにも!」
「警備兵は何をやっていた!」
「カメラには何も映ってないよ!」
 慌てる人々だが、キングだけは落ち着いて椅子に座り、じっとこちらを見ていた。俺はそんな様子を何も言わず、静かに見つめている。
「――見えているのは私だけか。ならば神からの使いか。それとも、私をたぶらかしに来た悪魔か」
「どっちでもないさ。俺は単なる通りすがりの暇人さ」
 キングの発言に部屋の人間がゴクリと息を飲む。キングはゆっくりと椅子から立ち上がった。立ち上がってみるとなかなかの長身で、すらりと手足の長いモデル体型なのが分かる。
「神の使いでないと言うのならば――お前は悪魔なのだろう」
「おいおい、なんて極端なヤツだ。俺はただの人間だよ。それともあんたは神に選ばれた人間とでも言うのか?」
 少なくとも、見た目に関しては神に恵まれているかもしれないけれど。
 だが、冗談めかした俺の発言に白髪の美青年は大まじめに答えた。
「いかにも。我は救世主(メシア)。神に選ばれし《救世主》(メシア)にして《王》(キング)。
 だからこそ、私はここにいる。
 私は神に未来を約束された人間なのだ」
 ――うわぁ、なんてサイコなヤツだ。白髪の隙間から覗く蒼い双眸は至極本気で、どこか狂気じみている。そんなキングの言葉に周囲の人間はまた始まったよ、と言う感じである者は溜息をつき、ある者は呆れた顔をし、またある者は面白そうににやにやと笑う。
 ――お前等それでいいのか。この国は大丈夫なのか。
 思わず勝手な心配がよぎる。しかし、そんな俺の気持ちなんてぶっちぎりで無視してキングはどこか演劇めいた仕草でばっ、と右手を横に薙いだ。
「名乗れ、悪魔。私が直々に鉄槌を下してやろう」
 悔しいが見た目はとても格好いい。
「失敬な。名乗るならば自分から名乗れよ。それが日本の礼儀ってもんさ」
 て、よく考えればここはもう日本じゃなかったな。
「おっと、これは失礼。親日家として失格だった」
 ――いいのか。っていうか、親日家の癖して日本侵略してるのか。なんかもう色々と訳分からんヤツだな。
「私の名はエゼキエル・ダイヤモンド。通称エゼク。
 神の声を聞く預言者にして、このエスカの《キング》だ」
 預言者とはまたふざけたことを言う王様だな。王権神授説とか時代錯誤もいいところだ。
「成る程、神に選ばれたから、あんたはここの王様になったってことか」
「いかにも」
 そして、蒼い瞳がこちらに名乗ることを促してくる。彼の眼は見る者を従わせる魔性の目だと思った。知らずこちらの心の深いところに入り、いつの間にか言うことを聞きたくなるようにする。
 ――人の言うことを聞くのが嫌な俺みたいな人種とはそりが合わないな。しかし、こいつが面白い人間なのは確かだ。
「いいぜ、名乗ってやるよ。俺の名は弥山然。ただの旅人さ」
「ヤヤマ・シカル。なかなか面白い響きの名前だ」
 彼が俺の名を口にした瞬間、他の人間が一斉にこちらを向いた。
「なっ!」
「馬鹿な」
「さっきまで誰もいなかったのに!」
 口々に驚きの声を挙げる人達。ああ、名前を告げることによって認識のレベルがあがってしまったか。まあ、これくらい構わない。どのみち彼等には姿が見えても、こちらの場所は蜃気楼の如く把握できないのだから。
 人形を抱いた子と秘書が殺気と共に立ち上がりかけたが、エゼクがそれを手で制した。
「……さて、シカルくん。君がここに来た理由を教えて貰おうか」
「別に。《キング》ってヤツの顔が気になっただけさ。
 そこにいる、いのりちゃんがどうしてもあんたを倒したい、て言ってたんでね」
 皆の視線が液晶モニターに向かう。
 そこでは未だに睨み合い、微動だにしない決闘者達の姿が映っていた。
「――ほう、お主が、先ほどあの娘っ子が言っておった《幽霊》と言うことか」
 老人が長いひげをさすりながら呟く。
「話が早いのはありがたい」
「伊達に歳はくっとらん」
 くっくっくっ、と笑う老人を秘書らしき女が冷たい視線を向ける。
「しかし、突然ここに現れたことや、それまで私達が見つけられなかった理由は以前不明です」
「それは儂の仕事ではないわ」
 老人の言葉に秘書はくっ、と黙り込む。どうやら、あの秘書らしき女と人形を持った少女がキングの護衛らしい。そう言えば彼女等も《七誓人》(ザ・セブン)の一人なのだろうか。
「なんにせよ、彼女の仲間と言うことは――シカル君も私を殺しに来たと言うことかな」
「別に、俺はあんたの命には興味ないし、この国を滅ぼしたいと思ってない。
 でも、俺を見破ったあんたの実力には少し興味がある」
 俺の言葉にエゼクは探るような視線をこちらに向けた後、ゆっくりと液晶モニターに視線を向けた。
「――勝つのは彼女か」
「……何?」
 ――今の彼女の実力では勝てるはずがない。
 思わず全てを忘れて液晶モニターに目線をやる。
 テズマが動いていた。
 
 
 
 二人の距離は約五メートル。長身のテズマはそれを二歩で踏破した。それに合わせていのりも前へ踏み込む。
 テズマの鍛え上げられた丸太のような腕がいのりへと繰り出された。一撃必殺の威力の込められた正拳突き。当たれば大木ですら打ち貫くに違いない。だが、彼の拳はそれだけで終わらなかった。なんと、テズマの拳がいのりへと到達する瞬間、テズマの上半身が燃え上がったのだ。露出した皮膚の全てから炎が吹き上がり、さながらそれは炎の魔神のようである。
 突然の変貌。しかし、いのりの表情に変わりはない。誰もが次の瞬間、いのりが炎の拳によって燃えながら吹き飛ぶのを想像したに違いないだろう。
 ――彼女を除いて。
 彼女がそれまで居合いの如く構えていた木刀を放った瞬間――全ては決した。
 気がつけば、テズマは全ての炎を吹き払われた挙げ句、なす術もなく吹き飛ばされ、地面に転がった。
 静寂が場を支配した。
 ほとんどの人間が目の前で起きた事象を理解出来ていなかった。無理もない。全ては一瞬の間に起きたことである。
『――炎を、斬った……だと』
 立会人であることを忘れ、イルゼが呆然と呟く。
 突きの姿勢で止まっていたいのりは、油断なく木刀を振り払い、刀を鞘に収めるように木刀を左手に戻した。
『鬼が授け、天狗が鍛え、人が伝えし、この剣。
 止められるものはない』
 瞬間、美しき勝利者の言葉を歓声がかき消した。
 イルゼが勝負を宣告するまでもない。勝敗は明らかだった。
 沸き上がる声の嵐の中、テズマはゆっくりと上半身を起こす。
『まいったな。見事に僕の負けだ』
 呟くテズマの姿にいのりは驚いた。胸元に渾身の突きを喰らったのだ。数時間は動けるはずがない。
『しかし、どういう技なのかな? 僕の腕や体は何故斬られてないんだろう?』
 そう、あの激突の瞬間、いのりの剣は炎ごとテズマの腕を斬り上げ、切っ先を返して斜め袈裟斬りを放ち、更にそこから一歩踏み込んで胸元へ渾身の突きを与えたのだ。
 一撃目と二撃目で相手の体を斬らず、炎だけを斬っている。実質的に相手の体にダメージを与えたのは最後の突きだけだ。斬りたいものだけを斬る。それは彼女の流派の秘技の一つだ。
 しかも、この三つの動作がほぼ一瞬で行われている。録画しているカメラをどれだけスローモーションで再生してもその動きは霞んで見えないに違いない。実際に、カメラ越しの映像では俺の目を持ってしても見えなかった。肉眼なら見えたと思うのだが。
『私の剣があなたの炎より強かった。ただそれだけの事よ』
 なんにせよ、これが彼女の初陣の結末だった。
 
 
 
 液晶モニターの映像に誰もが愕然としていた。
「テズマが……負けた」
「あの若造め」
 自分達の仲間であるテズマが見知らぬ少女に負けたことが相当ショックだったらしい。
 しかし、誰よりも驚いていたのは――恐らく俺に違いない。
 ――馬鹿な! 今の動きは何だ? 彼女の剣はそこまでのレベルに到達していたのか?
 彼女とは何度も戦った。しかしどういうことだろうか。今まで一度もあんな動きを見せたことがない。いや、あの「型」は知っているし、あの「技」は見たことがある。だが、それがあそこまで機能するところは初めて見た。
 ――あの流派にはまだ、俺の知らない「何か」があるのか。
 分からない。彼女は明らかに俺よりも弱いはずなのに――どういうことだ?
 それに、彼女の実力を知らないはずのエゼクは彼女の勝利を予見していた。俺は彼女の何かを見落としているのかも知れない。
 そして、もう一つ分からないことがある。
 いのりの流派のことはおいおい考えれば分かることだ。だがしかし、もう一つの方は一体全体どういうことなのかさっぱり理解出来ない。
「おいおい、人間がいきなり発火したぞ!
 ありゃ一体どういうことだ!」
 部屋の温度が一気に下がるのを感じた。
「あれ? 俺なんか変な事言ったか?」
 何故か女性陣が気まずげに視線を交わす。
「いやいや絶対おかしいだろ! 常識でものを考えろ!
 自発的に人が燃えたんだぞ! 人体発火能力(パイロキネシス)か!
 下手なSFじゃあるまいし普通そんなことないだろ!」
 話せば話すほど何故かドツボにはまっていく感覚に陥る。
 ――あれ、おかしいぞ。何この空気。
 だが、それを力強いバリトンが打ち破った。
「なんたる無知っ!」
 ばっ、と芝居がかった仕草でエゼクが右手を空へ掲げる。
「我らが『エスカ』はただの国家にあらず!
 ここは異能力者達の楽園!
 迫害されし超越者達による新生国家なのだっ!」
 テンション高いなこの白髪。付き合う方は大変だ。
「って……じゃあここにいるお前等も全員なんかの超能力者ってことか?」
 エゼクと俺の視線がぶつかる。
「いかにも。無論、この国には普通の人間もいるが、この部屋の人間は誰もが特別な力を持っているっ!」
 びしっ、と何故か指をさしてくるエゼク。いちいちかんに障るヤツだ。反射的にその指を払いのけようとするが、直前で指を引っ込められた。くそう。
「でぇぇいっ! 山に籠もりっきりの山ヒッキーだからってなめんなよ!
 修行ばっかで全く働きもしないニートだがなっ! 空想と現実の区別くらいはつくわい! 超能力者とか居る訳ねーだろ! アニメや漫画の見過ぎだぞ!」
「なんと! それはオタクに対する差別だ! 日本のアニメは文化だ! 芸術だ! 娯楽に満ちた衒学の国は他にない! それを日本人が否定するとはどういうことだっ!」
 予想外に凄まじいエゼクの剣幕に思わず首を傾げる。
「……お前、アニメを見るために日本に来たのか」
「何か問題でも?」
 呆れてものも言えなかった。後ろで秘書らしき女が額に手を当てて溜息をついている。コレさえなければ、とぼやいていた。可哀想に。苦労しているのだろう。
「アニメを見に来て、ついでにテロで国興しか。技術の進歩は物事を手軽にするが、建国も手軽になったもんだな」
「私は、神に選ばれているからな」
 俺の皮肉にもエゼクは動じない。どうやらこいつは完全に自分のことを救世主だと思っているらしい。こんな二十一世紀初頭という世紀末でもなんでもない微妙な時期に光臨されても対応に困る。
 ――まあ、この際そんなことはどうでもいいか。
「……超能力者に救世主。まあ、にわかに信じがたいが、よく考えたらどうでもいいことだな」
 溜息と共に肩をすくめる。別にそんな奴らがいてもいいし、居なくてもいい。
 俺にとって大事なのは無我の境地に至ることが出来るかどうかだ。別に世間で何が起きていようと俺には根本的に関係ないのだ。
「……音もなく侵入し、我らにその姿すら見せなかった小僧がよく言いおる」
 ふん、と老人が悪態をつく。他の人間も似たような表情で、お前は何を言ってるんだ、的な顔をしている。
「いやいや君達みたいなビックリ人間と一緒にして貰っては困るな。俺のは技術だ。修行を積み、天地の理を感じ取れるようになれば誰でも自ずと出来るようになるものだ」
 修行によって培った技術を超能力なんて不可思議で訳分からないものと一緒にされては困る。我が流派は元々はただの人間で、修行したら普通の人には出来ないことが少し出来るようになるだけだ。俺たちの流派は人知れず無我へ至る道を求め続けるだけで、こんな変な国を作り出したりとか――。
「……ってなんでお前等、こんな国作ったんだ? そんな凄い力があるならこんな日本のド田舎を乗っ取って国を作らなくても自分ところでどうとでも生きていけるだろ?」
「――お主は何も分かっておらんな。過ぎた力を持つ者が、周囲にどう思われるか。少しは頭を働かせんか」
 老人の叱責に顔をしかめる。
「別に、自分の能力が厭われるなら隠せばいいじゃないか」
 どいつもこいつも自己顕示欲が高いのだろうか。炎が出る能力なんて日常生活では使わない。普通に生活するだけならば、それこそ一生その能力を使わずに生きていけるはずだ。
「誰しも『本当の自分』と言う者を理解されたいのだ。
 貴様はまっすぐ立つことが許されず、一生しゃがみ続けないといけない人間の気持ちを考えたことがあるのか?」
 なるほど。自然体で居られなくなると言うことは辛いことだ。それはよく分かる。常に誰かに隠し事をして生き続けなければならないのも息苦しい生き方だろう。
「でも、なんだ。どうしてこの場所なんだ?」
「それは――日本ならば攻めてこないからだ」
 身も蓋もない。まあ実際、アメリカがこの国を承認したら手のひらを返したように日本政府はエスカの独立を認めたからな。世の中そんなものか。
「でも、トップをなんでこんなアニオタ白髪にしたんだ? それこそ、爺さんの方が最もらしい」
 カッ、とエゼクが床を蹴り、芝居がかった仕草で手のひらを顔の前にかざす。
「覚悟だ」
「……はぁ?」
 エゼクの視線が真っ直ぐに俺を捉える。
「俺は、俺に従う全ての人間の命を背負う覚悟がある。
 そして、そのためならば世界を手に回す事も厭わない
 俺には世界を変えるという大きな使命があり、そしてそれを背負う絶対の覚悟がある。
 これまでに死んでいった同胞と、これから死に行く同胞の全てを俺は受け入れる」
 そうやって語るエゼクの目に一切の狂気は見あたらなかった。そこにあったのは全くの正気。何者にも砕けぬ絶対の決意。
 こんな綺麗事を、真顔で、なんのてらいもなく言い放つこの男はやはり特別なのだと俺は悟った。成る程、この男をおいて他にこの国の《キング》はないのかもしれない。
「――ま、いいか。世の中には色々と面白いヤツがいるんだな。一つ勉強になった」
 踵を返すとカチリ、と撃鉄を上げる音が部屋に流れた。
「待ちなさい。このまま侵入者を逃すほど私達が甘いと思って?」
 秘書らしき美女が銃を出していた。だが、彼女の銃口は残念ながら俺の位置から数十センチずれている。彼女は俺を正確に認識出来ていない。あくまで蜃気楼の如く姿が見えているだけだ。
「残念だけど、お姉さんでは俺を止めることは出来ないな」
「なんですって!」
 にやりと笑い、俺は懐から木の葉を取り出す。それにふっ、と息を吹き込み、ひょい、と投げると木の葉は手裏剣となって彼女の持つ拳銃の銃身に突き刺さった。
「なっ!」
「これでその銃は使えないだろう?」
 《気》を込めればこれくらいの芸当は造作もない。もっとも、手放したものに《気》を維持させるのはちょいと高騰技術が必要だが。
「次元が違うんだよ、次元が」
 俺の言葉に人形を持つ少女が何かしようとするが、それをエゼクが手で制した。
「シカルくん。君はどうやら自分の力に絶対の自信があるようだな」
「悪いか? 俺は自分が求道者であるという自負がある」
 まあ、天才型の俺は大して努力はしてないんだけどね。
「ならばその自信――五秒で砕こう」
 瞬間――室内に銃声が響いた。
 抜き打ちで放たれたエゼクの銃弾が七つ、俺の元へと飛来する。いつの間にかエゼクの手には二丁の拳銃があった。何という早撃ちだろうか。映画に出てくる数々の早撃ちガンマン達ですら彼に劣る。対峙する相手は一瞬にして蜂の巣になるだろう。普通ならば、だが。
「――無駄だ」
 驚くべき事に放たれた銃弾は全て俺の方へ向かって飛来していた。彼は確実に俺が見えているらしい。だが、不思議である。彼はガンマンとして一流の腕前を持っているようだが、それでも俺が見えるほどの心眼は持っていないように見える。
 ――なんで俺を正確に認識してるんだ?
 怪訝に思いつつも、俺は指先に《気》を込め、七つの弾丸を全て弾き飛ばす。途端、カカカカカカッと跳弾の音が室内に響いた。床や壁を縦横無尽に銃弾が飛び回る。そのランダムな軌跡は誰にも追跡できない。
「俺の姿を捉えるとは驚きだが……所詮銃弾でこの俺を――」
 瞬間、更に五つの弾丸が放たれ、それらが全てこの部屋で跳弾している弾丸に命中する。
 ――馬鹿なっ! 跳ね回っている弾丸を打ち落としただとっ! いや、これは……。
「五秒だ」
 瞬間――七つの銃弾が俺の体を突き抜けた。
「……なっ!」
 激痛と驚愕がない交ぜになって体が崩れ落ちる。前後左右のあらゆる角度から七つの跳弾が俺の体を打ち抜いたのである。
 ――馬鹿な。跳ね回っている跳弾を打ち落とすのではなく、新たな弾丸を微妙な角度で『かすらせる』ことによってビリヤードみたいに弾道を変更しただとっ!
 喉の奥から血が上り、吐血した。呼吸が乱れる。激痛が感覚を麻痺させる。撃たれたのは肺と両腕両足か。足に四発とか狙ってるとしか思えない。
 片膝をつく俺に対し、エゼクは相変わらず芝居がかった動作で銃をこちらへ向けてくる。
「現在のお前は見えないが――未来のお前なら見えている。
 私は預言者。神に未来を約束された者。
 我が弾丸は未来を打ち貫く」
 ――くそっ、アニオタの癖にオペラを気取りやがって。未来視の能力者かよ。
「なんて卑怯な能力だ」
「時間が違うんだよ、時間が」
 ――くそ、口癖まで奪われた。
 だが、今の状態でこの男と戦うのはまずい。一旦体勢を整えなければ、あまりにも不利だ。
 俺は激痛を抑え、無理矢理その場を蹴った。
 
 
 
 四方八方から流れるビル風が落下する体を打つ。縮地の制御が上手く行ってない。地上にワープするはずが、ビルの狭間の空間に移動していた。地上が遠くに見える。このままでは地上に激突してしまう。
 肺の痛みを我慢し、《気》を全身へと循環させる。
「発っ!」
 叫ぶと共に《気》の塊が大地に叩きつけられ、反動で落下速度が弱まる。そのまま俺は倒れ込むように着地した。
「――っ!」
 無理がたたってか地面へと血が吐かれる。まずい。呼吸が乱れる。《気》の循環が乱される。あの男――ここまで未来を読んで俺の肺を撃ったのか。
 ――あの変人の能力はまずい。身体能力など何から何までこちらの方が上の自信はあるが、あの変人は俺を殺すだけの能力を持っている。腐ってもこの国の《キング》と言うことか。あの言動に騙されたが、ヤツはとんだくせ者だ。
「弥山っ! 一体何がっ!」
 気付けば側にいのりが居た。エゼクのところへ行った時に通った縮地を逆行したからさっきの決闘していた場所に戻ったのだ。空から人が落ちてきたと観客のざわめきが聞こえてくる。《気》の乱れのせいで、凡人達にも俺の姿が見えるようになっているらしい。
 ――これは相当まずいな。
「……ちょっと血が」
 彼女が俺の肩に触れようとするが、彼女の手はこちらに触れることなく、虚空を彷徨う。どうやら認識レベルの低下は完全には消えている訳でなく、彼女はやはりこちらの正確な位置を掴みきれてないらしい。
「……はは、未熟者め。未だに俺の位置を掴めないでいるのか」
「う、うっさいわね! それよりも術を解除しなさいよ! そのままじゃ死んじゃうでしょ!」
「だから……これは……術とかじゃ……なくて、そう、……いう『在り方』な……だけで、解除す……る、と、か、しない……とか、そういうものじゃない」
 軽口を叩いている間にも手足から血はどくどくと流れ出ている。弾丸が貫通したのは幸いだが、おかげで血が止まらない。いかん、頭もくらくらしてきた。ついには立つのも辛くなってその場にがっくりと崩れ落ちる。生命の危機に伴って五感が低下していく。
「く……落ち着け、俺」
 目をつむり、呼吸を整える。乱れた《内気功》を《外気功》によって補い、新しい流れを構築し、体内の治癒能力を活性化させる。みるみるうちに傷はかさぶたによって塞がり、流血は止まった。完全な皮膚の再生は一日かかるだろうが、今はこれだけで充分だろう。
 そして、目を開けると――武装した男達がこちらに向かって走ってきていた。
 ――しまった、傷を治すのに専念していたせいで他へ意識が向いてなかった。
 同時に三人の男が俺に飛びかかろうとするが、やはりこちらの位置を把握できず、俺のすぐ側で仲間同士でぶつかり、地面に倒れる。が、うち一人の腕が俺の体をかすり、思わず吹き飛ばされた。
 無様に地面を転がり、俺は吐血する。
 ――くそ、血を失いすぎだ。力が入らない。
 外界から《気》を供給するだけでは追いつけないほどのダメージが体を襲っている。これほどの傷を治癒するとなると《気》の蓄積される場所――《龍穴》にでもいかないと無理だろう。
「賊を捕らえよっ! 絶対に逃がすなと言う《キング》からの指令だ!」
 イルゼの声が聞こえてくる。
 ――くっそ、あの白髪の指示か。情報の伝達が早い。携帯電話でも使ったのだろう。これだから情報化社会は嫌いなんだ。風情がない。
「……あの白髪野郎……後で一発、絶対ぶんなぐってやる」
 顔をあげると無数の銃口が俺に突きつけられていた。といっても、そのどれもが微妙にずれて、俺の方に向いてない。彼等は俺の位置を認識出来ていない。やはり姿が見えるだけだ。
「投降しろ。貴様はもう逃げられん」
 武装したこの国の警備隊らしき男達を従え、イルゼが言い放つ。俺が物理的に捕まえられないのを見て投降を勧めたか。とはいえ、相手はこちらの周囲を円陣で取り囲んでいる。いくらこちらの位置を把握出来ないといっても、円陣を狭めていけばいずれ捕らえられてしまうだろう。かといって、こちらは縮地するほどの気力も残ってない。
 ――俺としたことが嫌と言うほど追い詰められてしまったな。
「ふ……ふふふ……」
 思わず笑みが浮かんでくる。突然笑い出した俺に取り囲んでいる警備隊達が怪訝な顔をするが気にしない。
 ――ああなんて、馬鹿馬鹿しい。思い上がりも甚だしい。どうやら天狗になっていたのは俺の方だったな。
「ちょ、ちょっと……一体何がどうなってるのよ!」
 包囲網の外側で事態について行けないいのりが訊いてくる。
「なんてことはない。ただの……自業自得だ」
 ――本当に、馬鹿馬鹿しい。俺は何をやってるのだか。
「とりあえず、そうだな。俺にもこの国に滞在する意味が出てきた」
 ――なんにせよ、あの白髪を一発ぶん殴るっ!
 これだけは確定だ。
「その男は我が国に不法入国し、《キング》の居城に侵入した賊だ」
「…………悪いの弥山じゃないの! なにやってんのよ!」
 イルゼの言葉にいのりが叫ぶ。
「ああもう、うるさい」
 俺はそう言って懐に右手をやる。取り囲んでいる男達が一瞬緊張を走らせるが、懐から取り出したものを見て眉をひそめた。
 俺が取り出したのは、小さな一振りの木の枝。なんの変哲もない、そこら辺に落ちていた、ただの木の枝である。別になんの加工もしていない。それをただ薙ぎ払った。
 瞬間、風切り音と共に包囲している男のうち数人が舞う。
 彼等は事態を把握していない。俺は右手を更に逆方向へ薙ぎ払う。
 ヒュン、と言う音に紙切れのように更に数人が吹き飛ばされた。
「……鞭っ? 枝が変化した?」
 イルゼの言葉に俺はわざわざ手を止めてやる。すると俺の手元にあった枝がいつの間にか全長一メートル半ほどの鞭に変化していた。もう一度振るうと鞭はぎゅいん、と伸び、五メートルは離れた警備隊員達をあっさりと吹き飛ばす。実は伸縮自在なのだ。
 ただの三振りで俺への包囲網は瓦解した。あり得ない光景に周りの者は言葉を失う。
「……くそ、下がれ」
 イルゼの言葉に俺はニヤリと笑う。
 ――大分呼吸が戻ってきたな。近接戦闘をする余裕はない。
 実のところ、体内の《気》のほとんどを今の枝の鞭化に使ってしまったために俺の体はかなり追い詰められている。状況はどうしようもないほどに最悪。
 ――だというのに、楽しくて仕方ない。
「いいだろう。俺も《キング》に挑戦するとしよう。
 ただし、お前達のルールなんて知ったことじゃない。
 俺はただ俺のやり方で好きにさせて貰う。
 俺と戦いたければ来てもいいが……生半可な実力では俺に触れることすらできんぞ」
 俺の脅しに周囲の人間は押し黙る。ああ、そう言えばこんな大人数の前で大見得を切るなんて初めてだ。なかなか他人の視線とは気持ちのいいものだな。
「――貴様、どこの手のモノだ。何の恨みがあってこんなテロをっ!」
 イルゼが部下を下がらせつつ、睨んでくる。
「ちょっと、テロリストのあんた達が何言ってんのよっ!」
「黙れ、ここは既に国として成立している」
「でも――」
「俺はどこの国にも属さない。ただの風来坊さ。
 いのりの言葉を遮り、俺は宣言する。今はそんな小さな事にこだわっても仕方ない。
「国籍もないし、お金もないし、どこかの国に属さず、ただ俺は俺で在るだけだ」
 ――そして、我が命題はただ一つ。無我の境地へ至ること。
「どの国が滅ぼうと、どの民族が、どの集団が消えようとも俺には与り知る事じゃない。何があろうと俺はただ自分の求道を進むだけだ。
 この国には多くの強者がいる。それは間違いない。なら、その強者達と戦うことで俺の修行の一つとさせてもらおう。
 結果的には『国破り』になるのかもしれないが、なんのことはない、俺にとってはただの『道場破り』の延長に過ぎない。
 非戦闘員は去れ。覚悟あるものだけ相手しよう」
 場を沈黙が包み込む。いのりだけは何かを言おうとしていたが、結局何も言わなかった。彼女は言わなくても、少なくとも俺と彼女の流派については分かっているのだから。
 打ち破ったのは筋骨隆々の巨漢のメガネ男。
「知っていますよ。君のような存在がなんたるかを」
 すると、それまで黙っていたテズマが前に出てくる。
「……人を超越し、遙かな高みを目指す求道者――すなわち、《仙人》でしょう?」
 メガネはどうやら飾りではないらしい。彼はただの武闘家ではなく、インテリでもあるようだ。こんなマッチョなインテリは初めて見た。
「そう、あんたとは次元が違うんだよ、次元が。
 まあ、目下修行中の身なんで、分類で行けば道士なんだけどな」
 俺の師匠の位置には未だほど遠い。もし、俺が本当に仙人だとすればこんなピンチには落ちなかっただろうよ。
 ――さてと、まずはこのインテリ筋肉か。
 おそらくいのりと戦った時はこの男も本気でなかったに違いない。まだ何か奥があるとみていい。そして、こちらはあの白髪にやられて満身創痍状態だ。残りの力を込めて作った鞭も木なので燃やされたらおしまいである。
 ――だが、勝てない相手ではないだろう。
 テズマの立ち振る舞いに隙はないが、体の向きがずれている。彼はこちらの位置を把握していない。
「不思議です。確かに姿は見えているのに、まるで気配が感じられません。本当に幽霊の様に見えますね」
 向かい合うテズマが言う。案の定、攻めあぐねているようだ。
「そういや、決闘してたんだったな。見事な負けっぷりだったなおめでとう」
「貴様、テズマを侮辱するのか」
 イルゼが鋭い目でこちらを睨んでくる。が、彼女も体の向きから、こちらへの警戒の方向がずれていることが分かる。彼女の能力は分からないが、それでもなんとかこの場は切り抜けられそうだ。もしかしたら一番の脅威はいのりかも知れない。
 さて、テズマをどうしよう、と思案していると……イルゼの悲鳴があがった。
「ひゃっひゃっひゃっ、相変わらずええ体しとるのう」
「いきなり何をするっ!」
「怒るな怒るな。ただのスキンシップじゃて」
 いつの間にやらイルゼの背後にはひょうたんをぶら下げた朱色の槍を担ぐ小柄な老人がいた。どうやらイルゼの尻をまさぐったのは彼らしい。彼はなかなか奇妙な格好をしていた。古風な槍を担いでいるというのに、その服装は『救世主伝説』と言う文字と漫画の絵がプリントされたパーカーである。きっと、エゼクのセンスに違いないと直感した。
 ――あのアニオタは老人になんてものを着せるんだ。
 しかし、当の本人はなかなかその姿を気に入ってるのか、この服どう?、とイルゼに聞いて、知るか、となぶられて軽く落ち込んでいた。
 彼はスカートをまさぐった時、イルゼが反射的に放った張り手を笑いながらかわしている。彼もまたただ者ではない。
 ――いや、おかしい。満身創痍とはいえ、何故彼の接近に俺は気づけなかったんだ?
 その老人を注視すると、洗練された《気》の流れに俺は度肝を抜かれた。
 ――なんて《気》の流れをしているっ!
 全くの無駄がなく、完全に周囲の《気》の流れと同化し、清涼な川の流れの如く完成された《気》の循環が形成されている。《気》の総量ならば俺や《キング》たるエゼクには及ぶまい。だが、その洗練された《気》の流れは――俺では足下にも及ばない。こんな気配を放つ人はそれこそ師匠以外に見たことがない。
「《七誓人》(ザ・セブン)の林迅……二人も《七誓人》(ザ・セブン)が」
 いのりが険しい顔をする。いや、なんで知ってるんだよお前は。
「……インターネットに載ってたのよ」
 なんでもネットの時代か。敵に情報がなんでも伝わるのは嫌な時代だなぁ。
「確か、今では失われた槍術を復活させ、極めたという槍の達人らしいわ」
 ネットの情報なんて対外的に大げさに書いているものだろう。普通は。
 だが、違う。目の前の老人はただのエロジジイではない。
 ごくり、と思わずツバを飲み込む。師匠と同じ達人。道を極めた者。
 俺の視線に気付いた老人がにぃ、と笑う。
「そもそも何故、林様がここに来ておられるのですか?」
「決まっておろう。そこの賊を退治しに来たのじゃ」
「ひゃぁっ!」
「下がれ、若造。お主等の手に負える相手ではない」
 きっちりとイルゼの太ももをさすった上で林迅と呼ばれた老人が前に出る。イルゼはなにやらよく分からない外国語で罵声を浴びせていたが、まあ俺には関係ないことだった。
 一方、テズマの方は少し迷ったようだが、武闘家としてのプライドよりもインテリの現実主義者としての側面が勝ったのか後ろに下がった。
 槍を旋回させるといつの間にかひょうたんが老人の手元にあり、彼はそのままごくり、と中のものを飲む。これから戦うというのに余裕だ。アルコールの匂いが周囲に漂う。
「さてさて……本当に気配が感じられんのう。
 まあ、それくらい大したハンデにもならんが」
 老人の言葉に俺はにやりとした。体中の血がたぎる。
 気配が感じられない。それがハンデにならないはずがない。武道家は極めれば極めるほど相手の気配を敏感に感じるようになり、それこそ目をつむっても相手の気配によって戦うことが出来る。しかし、それが感じられなくなると言うのは目隠しをされるも同然である。それを事もなげに受け入れるこの老人の実力は想像を絶する。
 俺は鞭を小枝に戻し、投げ捨てた。この老人には効かない。それよりもなけなしの《気》を体内に戻し、《内気功》を強化すべきだろう。
「あなたも超能力者で?」
 知らず敬語になる。
「馬鹿を言うな。あんな余計なもんがなくてもワシの槍は最強じゃて」
 くるりとひょうたんが宙を舞う。
「ワシはただ単に友に付き合っとるだけじゃ。まあ、あのエゼクの小僧は面白いヤツじゃがの」
 会議室にいた老人の姿を思い出す。間違いなく彼の事を言っているに違いない。なんとなく雰囲気が似ている。
「友達に呼ばれたから来たんですか? それだけの理由で?」
「友が助けて欲しいと言ったのだ。それ以上の理由などいらぬわ」
 まずいな、これから戦わねばならないのに俺はどうしようもなくこの老人のことが気に入ってしまった。
 思わず姿勢を正し、名乗り上げる。
「地千流の弥山然と申します」
「神槍の林迅じゃ」
 向かい合う視線が全てをもの語る。もはやそこに言葉は必要ない。後はただ拳を交えればそれでいい。そこにあるのは戦士の世界である。
 老人はひょうたんを腰にくくりつけ、槍を構えた。あまりにもよどみがなく、目の前にいるのにいつ構えたのか見落としかねないほどの自然な挙動。そして、槍はしっかりと俺の方に向けられている。間違いなくこの老人は俺よりも強い。
 対峙する俺は何も構えない。自然体であることこそが我が地千流の構え。型を作ることは行動の幅を狭める。自然体でいることこそが最大の構えなのだ。
 もはやイルゼやテズマ、いのりも何も言ってこなかった。周囲の警察や観客達も何も言わない。目の前で突然始まった第二の戦いをただ黙って見守るのみ。そこにはルールも審判もない。互いに倒れるまで戦う命のやりとりである。
 深紅の道着はやたらと重かった。道着だけではない。貧血が体を重くする。
 体調は万全にはほど遠い。だが、気力はこれまでにないほど充実している。
 この老人との戦いが俺にとって更なる何かを見せてくれるに違いない。そして――我が流派の継承者たるこの俺が、敵対流派の後継者たる彼女の前で負けを見せる訳にはいかない。彼女と俺の関係は愛などよりも深い宿命との絆によって結ばれている。故に。
 ――負けられない。
 無我の境地。そこへ辿り着かねば俺の人生に意味などないのだから。
 息を吸う。大気が、世界が自分の中へと染みこんでくる。
 息を吐く。自分が、大気へ、世界へと溶け込んでいく。
 超大にして深遠なる、次元の違うなにかへと繋がる感覚。大いなるその流れのその先に何があるのか。それが知りたくてここまで生きてきた。そして、その先に何があるのか。
 我が流派はこの流れを感じながらずっとそれを探し求めてきた。
 今、ここという場所は宇宙の片隅でもあり、宇宙の中心でもあるのだ。人は気付いていないだけで、日常と隣り合わせにこの巨大な世界があるのである。
 宇宙の果てへ辿り着くために。
 宇宙の中心に繋がるために。
 偉大なる力の流れに任せ、俺はするりと前へと踏み出した。


第二章へ続く




 うーん、会議室のところで秘書の子とぬいぐるみを持った少女が空気だ。二人とも重要人物だけど、あのシーンは老人とエゼクだけにすべきかなぁ。
 あと、イルゼもいいところがないなぁ。というか、イルゼよりもテズマの扱いが悪い。彼は強いのだが。
 そして、後半は当初の構想よりも盛り上がりにかける。ラストシーンにいのりが上手く話にノってない。
 一人称……うーむ。
 相対的な強さが分かりづらい。




 などが今のところ問題点ですかね。
 いろいろな意見などいただければありがたいです。
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