朗読のススメ   リズムとテキスト

音声を持たない言語、という想像力を放棄すれば、あらゆる言語は必ず音と文字の両方を持っている。
文章を認識する際には、大別して文字情報をそのまま目で追って頭に流し込んでいくような手法と、一旦音声情報に変換して、リズムをとって噛み砕いていく手法とがある。
それを踏まえて、書き手が文体を選択しようとすると、二つの手法が立ち現れる。すなわち、


文字の連なりとして認識が容易で美しい文体と、
音の連なりとして美しく理解しやすい文体。


どちらが良いというようなものではないし、読者の認識の手法について我々は想像を巡らせることしかできない以上、どちらかに最適化して「ヤマをはる」ような行為は慎んだ方が賢明と言える。


とはいえ。 一般に美文と呼ばれるような文章は大抵が音の連なりとして流ちょうで耳に心地よいものが多いように思われる。旧態依然とした価値観に縛られて云々、といった信念の持ち主ならばウブカタよろしくチャレンジャブルなテキストを書き連ねていけばよろしいが、そうでないならばまず、自分の文章が音としてどのような連なりなのか、ということを把握してみるとモアベター


この時期になってくるとそろそろ原稿が大枠で完成してくる人もいるだろうし、完成度を高めるために推敲したり読み直したりする人が出てくるだろう。
そうした方には、是非とも朗読してみることをお勧めしておく。
時間はかかるだろうが、実際に声に出してみることで、黙読しているだけでは判らなかった文章の「ひずみ」や「よどみ」が見えてくる、というか聞こえてくることが間々あるからだ。
そうすることで、「文章の流れ」をより美しくしていくことが可能になる、かもしれない。





ただ一点だけ付け加えると、
実家帰省中あるいは家族と同居している同士諸氏は、くれぐれも朗読時の音量に配慮してほしい。
……あれは数年前だったか、私は実家で完成させた原稿の山場の部分を朗読していた。「ん・・・ああっ、熱い、熱いの・・・・・・っ!! もっと、もっと深くぅっ!!」と艶っぽい声(のつもり)で「甘やかな蜜の芳香に誘われた毒蛇がひとひらの花弁に牙を立てるシーン」を熱演していると、
「・・・・・・指・・・あんた何やってるの・・・?」
母親の声がした瞬間、父親に聞かれなかった幸運を喜ぶべきか、あるいは妹に聞かれて「お兄サイテー!」と言われたかったという悔しさを嘆くべきかどうかで随分迷ったものである。あまりの衝撃に、私は自分に妹がいないことすら忘れていた。つまりは思考ビジー


あと、たとえ一人住まいでも、壁が薄かったりすると「死んでいったあいつの為にも、俺はここで死ぬわけには行かないっ! くらえ、スターライトスラッシャー!!」と朗読しているのを隣家の子供に聞かれ、数日後近所の子が「すたーらいとすらっしゃー!」とかやっている光景を目にすることになるかもしれない。